先祖附(天保11年12月23日) その37(完)
くずし字解読
仰付 一橋御用懸を、被遊 御免旨、御達有之候。 | (裏方の兼任も今まで通り)命じられ、一橋徳川家の用務を辞任するよう通達がありました。 |
一 同年同月 若殿様 御目見、被遊 御願善ニ付右御用 | 一 天保十年(1839)四月 若殿様の(幕府への)御目見についても、若殿様たっての希望であったので、この御用の |
懸法事承候様被 仰付旨御達有之候。同年十月六日 | 儀式の係を引き受けるように、との通達がありました。同じ年の十月六日 |
若殿様、御元服御用、諸事承候様、被 仰付旨、御達有之候。 | 若殿様の元服の儀式のご用についても、諸々の任務を引き受けるようにとの通達がありました。 |
一 天保十一年三月十五日 若殿様 御目見并御元服御用 | 一 天保十一年三月十五日 若殿様の御目見並びに元服のご用 |
相勤候ニ付、被遊 御祝、御紋附御長上下、同御半上下、<同御熨> | を勤め上げたので、これをお祝いになり、御紋附の長裃、同じく御紋附の半裃、 |
斗目、同御小袖、被下置旨、龍ノ口於、御殿被 仰渡候。其後 | 同じく熨斗目、小袖を下さると、龍ノ口の上屋敷で、お殿様から、仰せ渡されました。その後 |
御守役、當前之御奉公、并御用人之諸勤績、相勤居申候處、<同> | 御守役、決められた任務、そして用人としての諸々の任務を勤めていたところ |
年十二月廿三日於江戸病死仕候 | 同じ年の十二月廿三日に、江戸の於いて病死されました。 |
一口メモ
この先祖附は、当家九代が先祖から受け継がれてきた諸々の先祖に関する文書を、まとめ上げたようですが、死に至る9ヶ月前の事象から筆が止まりました。最後の三行目の「其後」以降の内容は,別人が書き加えたことが分かりますが、筆跡自体には、それまでのものと変わりないことから、この和綴じ本自体は第三者による記述であることが推測されます。
当ブログの中に「先祖附下書 政久吟味置」という頁がありますが、ここには当家九代が調査した内容が記されています。このような形で描き上げられた文章が、この先祖附に反映しされたものと思われます。その他、次の様な先祖に関する覚え書き等の資料が残されていました。