先祖附(天保11年12月23日) その36
くずし字解読
一 同年四月八日、休息之日数、満不申候得共、承懸(掛)之御用有、之候ニ付 | 一 天保九年(1838)四月八日、(与えられていた)休息の日数が満たされないまま、決められていた仕事があると言うことで、 |
出府、被 仰付旨、御達有之、同閏四月朔日、御國許被差立<同> | 江戸に行くようにとの通達があり、同九年閏四月一日に熊本を出発、 |
五月十日、江戸白金、御屋敷江着仕、當前之御奉公、相勤申候。 | 五月十日に江戸白金の中屋敷に到着し、当たり前の仕事を務めました。 |
一 同十年三月四日、座席御留守居大頭同列、被 仰付 | 一 天保十年三月四日、座席順が御留守居大頭同列を命じられ |
若殿様御守役、被 仰付、御足高五百石、並御役料、米並之通 | 若殿様の御守役を命じられ、足高を五百石に、役職に対する手当も、知行並みの通り |
被下置、御用人之場、遠茂相勤 蓮性院様、御用之儀茂<諸> | 下さり、御用人としての仕事も勤め、蓮性院様(九代藩主の正妻)のお世話も |
事、今迄之通、相心得候様、被 仰付旨、龍口於、御殿<被> | 種々今迄の通り行うように心がけることを、龍口の上屋敷でお殿様より |
仰渡候。同年四月六日 若殿様御出之節、御跡業<被> | 仰せ渡されました。天保十年四月六日に、若殿様がいらっしゃる時は、跡継ぎに関する諸事の習得をお助けするように |
仰付旨、御達有之候。右同日、新御屋形、御用人之分職、御用懸 | との通達がありました。同じ日に新しい屋敷の用人としての兼任の御用についても |
都而、承候様、被 仰付、御裏方分職、今迄之通承候様、<被> | 引き受けるよう命じられ、裏方の仕事も、今までどおり兼任するよう |
一口メモ
天保9年は、八代藩主の斉茲公(諦了院様)が、お亡くなりになってから3年経過していますが、十代藩主の斉護公(当時満34歳)は、働き盛りで毎年参勤交代と就封を確実にこなしており、江戸藩邸は蓮性院様(九代藩主の正妻)と若殿様(当時満13歳)が定住、お守りされておられるものの、諦了院様による後見が無くなった事は大きな痛手であったように思われます。当家九代も熊本での休息を打ち切るほど、江戸藩邸は手薄になっていたように思われます。翌年には、留守居大頭同列という大変な重責を任されました。留守居大頭は、最高位役職である備頭、その次の側大頭に次ぐ座席で二千石の役高です。当時の九代は千石でしたので、留守居大頭同列の役高に合わせるため、一代限りの禄高(足高)5百石を賜ったとものと思われます。
その結果、上記の通り多彩な役職を仰せ付けられましたが、その2年後には残念なことに急病死してしまいます。