2024年4月27日 / 最終更新日時 : 2024年2月25日 sokei エピソード 奇遇 エピソード 私の祖父母が熊本を離れ、上京して以来、私は田舎を失った。とは言っても私の知っている田舎は、一家が韓国より引き上げた直後に熊本に立ち寄った折りに、一度だけ訪れた様な記憶が僅かに残っている。当時は、3才であったた […]
2024年4月24日 / 最終更新日時 : 2024年2月25日 sokei 劔八幡宮 豊後街道を辿る その36 完 鶴崎 出水神社 左画面は、肥後熊本藩藩主細川公の歴代の御霊が祀られている鶴崎の出水神社です。中画面の「御遷座記念碑」とあるように、元々の御霊が祀られていたのは別の場所の「住吉神社」であったようです。この記念碑の日付は、昭 […]
2024年4月21日 / 最終更新日時 : 2024年2月25日 sokei 伊能忠敬 豊後街道を辿る その35 毛利空桑記念館 鶴崎小学校の一筋南の広い道路には、「毛利空桑先生像」と「空桑・思索の道」という記念碑がありました。この像の奥には、「大御代は ゆたかなりけり 旅枕 一夜の夢を 千代の鶴さき」という歌と共に勝海舟と坂本龍馬 […]
2024年4月18日 / 最終更新日時 : 2024年2月25日 sokei 伊能忠敬 豊後街道を辿る その34 鶴崎船着場跡 今市の石畳道から一挙に鶴崎に飛びました。この間については、野津原町商工会のホームページに詳しく掲載されていますので、そちらを参考にして下さい。 鶴崎駅前の案内板を頼りに史跡巡りを開始、先ず日豊本線沿いを50 […]
2024年4月12日 / 最終更新日時 : 2024年2月25日 sokei 伊藤博文 豊後街道を辿る その32 瀧廉太郎旧宅 この旧宅は、大分県竹田市竹田町の西側に位置しますが、この門前の左に設置された説明板(左画面)には、次の様な解説書がありました。 廉太郎旧宅瀧廉太郎が十二才から十四才までの二年半、多感な少年時代を過ごしたのが […]
2024年4月6日 / 最終更新日時 : 2024年3月19日 sokei 中川秀成 豊後街道を辿る その30 岡城二の丸跡 中画面は、「二の丸阯」の標柱、右画面は、「月見櫓跡」の標柱です。左画面の説明板の内容は、次の通りです。 二の丸跡二の丸は、北の方角に張り出したL字状の地形をなしています。中央に御殿を配し、御玄関を入ると台所 […]
2024年4月3日 / 最終更新日時 : 2024年3月19日 sokei 中川久清 豊後街道を辿る その29 岡城三の丸跡 岡城西の丸から東へ進むと大きく開けた三の丸跡に至ります(左画面)。ここには、三代藩主の中川久清公に藩政に関する指南を行った熊沢蕃山に対する表彰碑(中画面)や、幕末の勤王の志士である小河一敏を讃えた碑がありま […]
2024年3月31日 / 最終更新日時 : 2024年3月19日 sokei 中川久清 豊後街道を辿る その28 岡城公園 「TAOの丘」から国道442号に戻り、25kmほど大きく南下すると、大分県竹田市に至ります。その一角に岡城公園がありますが、そこの駐車場にあったGUIDEMAP(左画面)には次の様な説明がありました。 国指定史 […]
2024年3月25日 / 最終更新日時 : 2024年3月25日 sokei 勝安房(海舟) 豊後街道を辿る その26 境の松坂の石畳 県道216号の先に大利橋があり、ここを渡り、500m先が県境ですが、標高差が100mもある坂を上ります。この先の「境の松坂の石畳」は見事に原型を留めており、美しい石畳です(左画面)。坂を上って行くと右側は […]
2024年3月13日 / 最終更新日時 : 2024年3月13日 sokei 勝安房(海舟) 豊後街道を辿る その22 四里塚と十四里塚跡 国道57号の「駕籠置場とカヲの墓」から4km先にミルクロートとの交差点があります。この辺りの国道の左には凹道の形をした川が並行していますが、これが豊後街道の旧街道とのことです(左画面)。この交差点から […]