先祖附(天保11年12月23日) その35
くずし字解読
一 同年五月五日、雅之進様御縁組、御用懸、被 仰付旨御達 | 一 天保八年(1837)五月五日、雅之進様のご縁組の世話係を命じられる旨の通達が |
有之候。同年同月廿二日、新御屋形、御近二有御次、支配頭分職<被> | ありました。五月二十二日、新しい屋敷の近くに次の間があり、この支配頭としての兼任や |
仰付、其外之諸分職、御用懸共都而相勤候様、被 仰付、御達 | その他諸々の兼任、世話役についても、勤めるよう命じられるとの通達が |
有之候。同年七月朔日、今般 御嫡子様、御届御用懸 | ありました。天保八年七月一日、この度の嫡子としての届け出の手続きを |
相勤候ニ付、被遊 御祝、御紋附御上下、同御帷子、被下置旨 | 勤め上げたので、これをお祝いになり、御紋附の裃と、帷子を戴けるという旨を |
龍ノ口於、御殿、被 仰渡候。同年八月朔日 | 龍ノ口の上屋敷でお殿様から言い渡されました。天保八年八月一日 |
若殿様御縁組、御用懸相勤候ニ付、被遊 御祝、御紋附御上下 | 若殿様のご縁組の、ご用係を勤め上げたので、これをお祝いになり、御紋附の裃 |
同御帷子、被下置旨、龍ノ口於、御殿、被 仰渡候。同年十二月十三日 | 同じく帷子を下さると龍ノ口の上屋敷でお殿様から言い渡されました。同年十二月十三日には、 |
来早春、御國許江休息、被 仰付旨、御達有之候。 | 来年早々に、熊本に休息のため帰るようにとの通達がありました。 |
一 天保九年正月十五日、江戸表被差立、同年二月十五日、御國許江着仕候。 | 一 天保九年(1838)一月十五日、江戸を出発、二月十五日に、熊本に着きました。 |
一口メモ
ここに登場する雅之進様は、お殿様(熊本藩十代藩主細川斉樹公)の嫡子(長男)で、江戸幕府への次期藩主としての届け出を済ませ、更に縁組みの手続きを済ませました。雅之進様は文政8年(1825)生まれですので、この時は満年齢12歳でした。縁組みのお相手は、正室となった鳳台院 茂姫様(新田藩 細川利用女)と思われ、当時は満年齢8歳でした。後に名前を護前から慶前に変更されました。誠に残念なことに、慶前様は嘉永元年(1848)に満年齢23歳で、藩主を継ぐことなくお亡くなりになられました(泰樹院様)。