在勤拝領之品付(九代武久) その6
同年十二月十五日 | 文政13年(1830)12月15日 この年の3月に休息のために帰国をしたが、予定より早く出府したので,拝領した。 |
一 御紋附裏附御継上下 一具 | 一 紋附で裏附の継上下、を一揃い。 |
一 松蓋菱御紋附羽二重御小袖 一 | 一 松蓋菱(まつかさひし)の紋附で羽二重の小袖、を一つ。 |
一 御紋附羽二重御単 一 | 一 紋附の羽二重の単、を一つ。 |
天保元年 | 天保元年(1831) 白金に於いて、中国の文岱の作、を少将様から戴いた。 |
一 雪中山水御掛物 一幅 | 一 雪中山水掛物、を一幅 |
同二年七月十一日 | 天保2年(1832)7月11日 兼々の出精に対して、少将様より戴いた。 |
一 五三桐御紋附縮御帷子 一 | 一 五三桐の紋附の縮帷子(ちじみえぼし)、を一つ。 |
同年十二月十七日 | 天保2年(1832)12月17日 諸事は、熟慮によって対処したので、思し召しにより、少将様から戴いた。 |
一 八重桜御紋附袷御継上下 一具 | 一 八重桜の紋附で袷の継裃、を一揃い。 |
一 二桐御紋附紬御綿入 一 | 一 二桐の紋附で紬(つむぎ)の綿入、を一つ。 |
一 御紋附縮御帷子 一 | 一 紋附の縮帷子、を一つ。 |
同年十二月十六日 | 天保2年(1832)12月16日 戸越屋敷で女奉公人の祝盤井(節度を持って楽しむお祝い)に出席のため頂戴した。 |
一 綿入御胴召 表淺黄縮緬雲鶴之形 一 裏本日野絹紅色 | 一 綿入の胴着 表は淺黄の縮緬で雲鶴の形、を一つ。 裏は本日野絹(滋賀県の日野町で産した薄地の生絹)で紅色。 |
同年十二月廿四日日 | 天保2年(1832)12月24日 澤村八郎左衛門が休息中にご用を取り扱うという事で、蓮性院様の御前で戴いた。 |
一 嶋(縞)縮緬 一反 | 一 縞の縮緬、を一反。 |
同三年二月十二日 | 天保3年(1833)2月12日 亡き諦観院様が病気の間お世話を申し上げたが、正室の蓮性院様の御前で戴いた。 |
一 黒琥珀御帯地 一筋 | 一 黒琥珀色の帯地、を一筋。 |
同年六月廿七日 | 天保3年(1833)6月27日 兼々仕事に励んだとのお考えにより、少将様より戴いた。 |
一 米沢丈布緯か壽り御帷子一 | 一 米沢丈布の緯カスリの帷子、を一つ。 |
一 仙臺平御袴 一具 | 一 仙臺平の袴,を一揃い。 |
同年七月五日 | 天保3年(1833)7月5日 内密のご用について、心配りをしたので、そのお祝いとして、少将様から直接戴いた。 |
一 赤銅三牛御三所物 作乘真 笄桃有、小柄玩縄有、裏哺金捍下地、拙者 代金拾枚也 元禄四年九月七日 後藤廉秉 印 | 一 赤銅(しゃくどう=銅に金3~4%、銀1%の銅合金)で、三疋の牛が描かれた三所物。 後藤乘真の作。 笄(こうがい=髪透き)桃があしらわれている、小柄には玩縄(がんなわ=飾りの縄の図案化されたもの)がある。裏哺金(うらふくみきん=小柄と笄の裏面の下地を包み込むように薄い金の板を着せたもの)。下地をまもったのは私。 値打ちは金10枚 元禄4年9月7日 後藤廉秉 印 |
天保三年九月廿五日 | 天保3年(1833)9月25日 少将様より、鉢植一鉢を下さる旨田川をもって知らされ、それを戴いた。 |
一おもと、ミやこの志よふ御鉢 一 但御鉢尾張焼鶴波潦付大振り | 一 万年青(おもと)の都城という種類の一鉢で、鉢は尾張焼の鶴波潦付(鶴の波しずく模様)の大振のもの。 |
一口メモ
天保2年(1832)12月16日に頂戴した「綿入の胴着」について、系図には詳しい経緯が記されています。戸越の下屋敷で女奉公人の祝宴が開かれることが決まり、御前様からそのための胴着を戴きましたが、この裏地が赤かったので、御前様の前で着るわけに行かぬということで、裏地が見えないような仕立て直しを頼んだところ、これが難題で、女中二人がかりで、夜中の10時までに何とか仕上げたとのことです。事の起こりはこの宴席では酒が飲めないので、寒さをしのぐための苦肉の策だったようです。
また、天保3年(1833)7月5日には、貴重な三所物を頂戴しましたが、これは、装剣金工では有名な、後藤家の三代目当主、乗真が作成した物を後藤家十代の後藤廉乘が手直しをしたという証文が添えられていた事が記されています。