在勤拝領之品付(九代武久) その5

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #3012

くずし字解読

同年十二月十四日文政11年(1828)12月14日 人数が少なかったが、手抜きもせずに頑張ったので、戴いた。
一 松蓋菱御紋附裏附御上下    一具一 松蓋菱(まつかさひし)の紋附で裏附の裃、を一揃い。
同年十二月廿一日1828年12月21日 梅珠院様の三回忌につき、戴いた。
一 桜菱御紋附縮緬袷御羽織    一一 桜菱の紋附で縮緬の袷(あわせ=裏地を付けて仕立てた着物)の羽織、を一つ。
同十二年正月1829年1月 これまでの役目以来、多年に亘り出精して勤め、更に少将様の御奉養筋に大いに心配りをし、支配下の者たちに熟知させた。
一 御たばこ入御きせるさし共ニ  一一 たばこ入とキセル差しをセットで、一つ。
文政十一年文政11年(1828)
一 白かすり丈布         一反一 白かすりの模様の丈布、を一反。
同十二年七月二日文政12年(1829)7月2日 少将様(細川斉茲公)が今年71才になられ、特別にお書きになった。
一 御筆御画 松月        一幅一 御筆と御画 松月、を一幅。
同年七月十日文政12年(1829)7月10日 少将様が老年で、お手許のご用向よりも働きが多いので、思し召しによって奥方の蓮性院様から頂戴した。
一 表桜御紋附絽小紋形御単    一一 表桜の紋附で絽(ろ=からみ織り)で小紋形の単、を一つ。
同年十一月文政12年(1829)11月 少将様の筆による水墨画を自らの手で戴いた。
一 御筆御画、中国之内今津浦之圖一幅一 御筆と御画 中國地方の今津浦の砦、を一幅。
同年十二月朔日文政12年(1829)12月1日 養子の十代が白金の近習での勤務が決まり、上京した内祝いに戴いた。
一 三組御盃 雪月花      一組一 三組の盃 雪月花、を一組。
同年文政12年(1829)
一 白馬尾織御紙入       一一 白馬尾織の紙入、を一つ。
一 廣嶋(縞)御薬鑵      一一 広い縞柄の薬缶、を一つ。
同年十二月十九日文政12年(1829)12月19日 兼々出精を勤めたので、少将様(細川藩八代藩主斉茲公)より戴いた。
一 五三桐御紋附横麻長御上下  一具一 五三桐の紋附で横麻(よこあさ=緯に麻、経に絹を用いた織物)の長裃、を一揃い。
一 浮泉桜御紋附縮緬御小袖   一一 浮泉桜の紋附で縮緬の小袖、を一つ。
一 御紋附木綿御上張      一一 紋附で木綿の上っ張り、を一つ。
同年十二月廿三日文政12年(1829)12月23日 兼々出精を勤めたので、太守様(細川藩十代藩主斉護公)より戴いた。
一 五三桐御紋附薄継御上下   一具一 五三桐の紋附で薄継の裃、を一揃い。
文政十三年二月十四日文政13年(1830)2月14日 兼々の出精とともに、長時間の働きであったので頂戴した。
一 御紋附縮緬単御羽織     一具一 紋附の縮緬で単の羽織、を一揃い。
一 同薄継御上下        一具一 同じく紋附の薄継裃、を一揃い。
一 御紋附羽二重御小袖     一具一 紋附羽二重の小袖、を一揃い。
一 嶋(縞)縮緬        一反一 縞の縮緬、を一反。
但妻ミちへ被下置候但し、これらは妻のみちへ下された。
同年八月晦日文政13年(1830)8月30日
一 厚板金入織物御腰提      一一 厚い銀の板が織り込まれている携帯用のお椀、を一つ。
一 在原菱彫物銀大形御きせる  一本一 在原菱(業平菱=格子模様の)彫物の銀製大形烟管(きせる)、を一本

一口メモ

この頁では、当家九代が少将様(熊本藩八代斉茲公)諦了院様のお側につき、お世話をしている事に対して、大いに感謝をされ手厚く遇される様子が見てとれます。

文政12年(1829)12月1日は、養子の当家十代の上京が実現し、更に白金の近習での勤務が始まった折には、三つ組の盃をいただきました。その盃で最初は、亡き九代の正室である連性院様から第一の盃を戴き、次に太守様(細川藩十代藩主斉護公)から第二の盃を戴き、最後に少将様から第三の盃を戴きました。この内祝いを催して戴き、九代はこの思し召しに対して心が熱くなるほど恐縮している様子が系図に書かれています。

又、12月19日には、「浮泉桜御紋附縮緬御小袖」を拝領していますが、この「浮泉桜御紋」は、少将様のお好みで作られたご紋なので、容易に近習(殿様近くに仕える家来)向へは下されないが、この度は格別の思し召しによってくだされたものとのことです。

更に、翌年の2月14日には、当家九代の妻に対しても、長時間勤務の代償として、手厚い贈り物を与えられています。

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