在勤拝領之品付(九代武久) その4
くずし字解読
文政十年正月廿七日 | 1827年1月27日 今年は特別にご用が具合よくまとまり、心配りなど精を出したので戴いた。 |
一 五三桐御紋附羽二重御小袖 一 | 一 五三桐の紋附で、羽二重の小袖、を一つ。 |
一 琥珀裏附御袴 一具 | 一 琥珀(こはく)織りの裏附の袴、を一揃い。 |
同年二月十七日 | 1827年2月17日 梅珠院様(耇姫様)がお亡くなりになった折、二の丸に待機を仰せ付けられ、出精したので内々に頂戴した。 |
一 八丈嶋(縞) 一反 | 一 八丈縞(八丈絹の縞物)の織物、を一反。 |
同年三月 | 1827年3月 二の丸に於いて少将様(熊本藩主八代細川斉茲公)から戴いた。 |
一 御掛物 二幅対 | 一 二幅対の掛軸。 |
一 御盃 三ツ組 | 一 三つ組の盃。 |
一 御提弁当箱 一組 | 一 手提げ弁当箱、を一組。 |
同年三月廿一日 | 1827年3月21日 少将様が江戸向けに熊本を出発、道中下関で少将様より直接戴いた。 |
一 御野袴 一具 | 一 野袴(のばかま=旅行で着用する袴)、を一揃い。 |
同年四月 | 1827年4月 同様に旅行中に大坂で戴いた。 |
一 縮丈布嶋(縞) 一反 | 一 縮の上布(夏用の高級麻織物)縞織り、を一反。 |
同年六月七日 | 1827年6月7日 この度少将様が帰国の長旅の道中で出精を勤め、大坂に滞留中格別な心配りをしたので戴いた。 |
一 八重桜御紋附裏附御上下 一具 | 一 八重桜の紋附で裏附の裃、を一揃い。 |
同年同月廿一日 | 1827年6月21日 少将様が帰国の長旅の道中で出精を勤め、大坂に滞留中格別な心配りをしたので戴いた。 |
一 ニ桐御紋附薄継御上下 一具 | 一 ニ桐の紋附で薄い継ぎ裃、を一揃い。 |
同年十一月十九日 | 1827年11月19日 この度婚姻が滞りなく済んだので、八代細川斉茲公の奥方より、お祝として戴いた。 |
一 御紋附羽二重御小袖 一 | 一 紋附羽二重の小袖、を一つ。 |
一 御紋附御上下 一具 | 一 紋附の裃、を一揃い。 |
一 嶋(縞)縮緬 一反 | 一 縞縮緬、を一反。 |
一 白縮緬 一疋 | 一 白の縮緬、を一疋(ひき=2反続きの反物)。 |
一 晒 一疋 | 一 晒(さらし)、を一疋 |
一 嶋(縞)縮緬 一反 | 一 縞の縮緬、を一反 |
同年十二月廿五日 | 1827年12月25日 兼々仕事に励んだ本人と詰方も同様に、思し召しによって戴いた。 |
一 御紋附絨御熨斗目 一 | 一 紋附の絨(じゅう=やわらかい)熨斗目、を一つ。 |
一 ニ桐御紋附縮緬入御羽織 一 | 一 ニ桐の紋附で縮緬入の羽織、を一つ。 |
同年同月廿二日 | 1827年12月22日 兼々出精を相勤めた支配方など諸々の事を申し渡したので、太守様より江戸で戴いた。 |
一 五三桐御紋附羽二重御小袖 一 | 一 五三桐の紋附で羽二重の小袖、を一つ。 |
一 御盃 一 | 一 盃、を一つ。 |
一 御筆御掛物 読書百篇 一幅 | 一 毛筆の掛軸「読書百篇」、を一幅。「読書百篇」=難解な文章でも繰り返し読めば、意味が自然と分かってくる。 |
同年十一月 | 1827年11月 |
一 銀御笄 三本 | 一 銀製の笄(こうがい=女性のまげに、横に挿して飾りとする道具)、を三本。 |
同十一年七月十三日 | 1828年7月13日 決められていた通りの仕事であったが、格別に精を出して勤めたので、特別の思し召しによって戴いた。 |
一 表桜御紋附薄継御上下 一具 | 一 表桜の紋附で薄継の裃、を一揃い。 |
同年十一月四日 | 1828年11月4日 |
一 御盃 鶴亀不二之蒔絵 一 | 一 盃 鶴と亀と富士山の蒔絵、を一つ。 |
同年十二月十四日 | 1828年12月14日 人数が少なかったが、手抜きもせずに頑張ったので、江戸で戴いた。 |
一 八重桜御紋附縮緬御袷 一 | 一 八重桜の紋附で縮緬の袷、を一つ。 |
一口メモ
上記の文政十年(1827)は、十代藩主の細川斉護公の参勤交代のお供が免除され、代わりに諦了院様(熊本藩八代藩主斉茲公)にお付きになり、3月にはこれまで7年間隠居なされていた国許を離れ、江戸の濱町下屋敷、現在の浜町公園(日本橋浜町二丁目)に本拠地を移されました。以後諦了院様は「濱町様」と呼ばれるようになりました。この年には3月と11月の二度も上京され、当家九代は、いずれもお供をしています。