在勤拝領之品付(九代武久) その7

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #3012

くずし字解読

同年十二月十五日天保3年(1832)12月15日 いつもながら、仕事を勤めているので少将様から戴いた。
特に破風は厳寒の折、綿を厚めにする特別な仕立でした。
一 御紋附織線入御熨斗目   一 一 紋附で織線が入った熨斗目、を一つ。
一 三桐御紋附縮御帷子    一一 三桐の紋附縮の帷子、を一つ。
一 表桜御紋附縮緬御袷御羽織 一 一 表桜の紋附で縮緬の袷羽織、を一つ。
一 八丈嶋(縞)綿入御破風  一
  但御金具銀様
一 八丈縞の綿入れ破風、を一つ。
  但し、金具は銀の様子。
同年十二月廿一日天保3年(1832)12月21日 少将様が、太守様より貰ったお金の内から戴いた。
一 金拾両一 金貨を10両。
同年十二月廿三日天保3年(1832)12月23日 明24日は梅珠院様の七回忌になるので、戴いた。
一 嶋(縞)縮緬     一反一 縞の縮緬、を一反。
天保四年二月三日天保4年(1833)2月3日 九越の祝(49歳を無事に終わったお祝い)として戴いた。
一 貝細工御置物 梅羈彝   一一 貝細工の置物 梅の羈彜(きい=馬に使うくつわの紐の祭器)、を一つ。
一 御盃 金鶏之蒔絵 銘光山 一一 盃 金鶏(きんけい=キジ科の中国の鳥)の蒔絵(まきえ=漆器の表面につけられた絵模様)の盃、を一つ。
同年三月七日天保4年(1833)3月7日 少将様と太守様の思し召しによって頂戴した。
一 諦観院様御筆       一幅一 亡き諦観院様(熊本藩主九代細川斉樹公)の筆による作品、を一幅。
同年七月九日天保4年(1833)7月9日 兼々精を出して勤めたので御前で頂戴した。
一 葉桜御紋附柿色晒御帷子  一一 葉桜の紋附で柿色の晒の帷子、を一つ。
一 奈良地白御帷子      一 一 奈良地の白色の帷子、を一つ。 
同年八月廿七日天保4年(1833)8月27日 4年もの間仕事一筋に励み、熊本に休息のために帰国するのに、ちなんで頂戴した。
一 五三桐御紋附袷御継上下 一具一 五三桐の紋附の袷(あわせ=裏地つきの)継裃、を一揃い。
一 木綿形付御袷御羽織    一一 木綿の形付(かたつき=物の形・模様が染めつけてあること)の袷羽織、を一つ。
一 葉桜御紋附縮緬単御羽織  一一 葉桜の紋附縮緬で単(ひとえ)の羽織、を一つ。
右同日右と同じ日 
一 御紋附羽二重御小袖    一
   但妻ミちへ被下置候
一 紋附の羽二重の小袖、を一つ。
     但し、これは妻みちへ下さった。
一 小桝金入御帯      一筋
   但娘壽きへ被下置候
一 小桝織の金入帯、を一筋
     但し、娘のすきへ下さった。
同年十一月十五日天保4年(1833)11月15日 少将様が病気にかかり、回復されたお祝いとして少将様から戴いた。
一 貝細工御吸筒      一一 貝細工の吸筒(すいづつ=酒や水を入れて持ち運ぶ筒状の容器)、を一つ。
一 唐銅御海老置物     一一 唐銅の海老の置物、を一つ。

一口メモ

この時代は、少将様(熊本藩第8代藩主細川斉茲公)からの賜り物が頻繁に繰り返されていますが、これは少将様が江戸に本拠を移された文政10年(1827)以来、当家九代は一貫してお世話を続けてきたことによると思われます。この間九代は文政13年に一度休息のために帰国した以外は、諦観院様の亡骸を熊本に届けた文政9年の外は少将様のお側でお世話をする事になります。少将様が国許へ帰国なされる折には当然お供をしてきました。

そして、天保4年には九越のお祝いを賜り、更に5年ぶりに休息のための帰国を許され、帰国したところ、少将様の具合が悪いという事で、休息の期間を20日に短縮して江戸に戻りました。これは少将様がお亡くなりになる3年前の出来事です。

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