在勤拝領之品付(九代武久) その8

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #3012

くずし字解読

同年同月廿四日             天保4年(1833)11月24日 お城で拝領する案内を蓮性院様(熊本藩九代藩主細川斉樹公の正室)から戴いた。
一 松葉蘭御鉢植
  但御鉢尾張焼鯉染付
一 松葉蘭の鉢植え、を一つ。
  但し、鉢は尾張焼の鯉の染付
同年十二月廿一日天保4年(1833)12月21日
一 表桜御紋附羽二重御小袖  一一 表桜の紋附で羽二重の小袖、を一つ。
一 御紋附縮御帷子      一一 紋附の縮帷子(かたびら=夏衣装の一種で、麻の単(ひとえ)物)、を一つ。
同五年五月十一日天保5年(1834)5月11日 今度、雅之進様の養育については、当初からかれこれ心配りをしたので、少将様から頂戴した。
一 御鍔雪歴重  林又(七)作 ー組一 鍔(刀のつば)雪歴重(但し、これは雪歴の透かし重ね彫りの大小對)林又七作、をー組。
一 御紋附椋麻長御上下   一具一 紋附で椋(むく)の麻の長裃を一揃い。
同六(五)年五月十一日天保5年(1834)5月11日 同じ趣旨で、太守様から頂戴した。 
一 仙臺平御袴地      二具(反)一 仙台平の袴地、をニ反。
同五年六月廿八日天保5年(1834)6月28日 少将様の御前で戴いた。
一 表桜御紋附木綿御単   一一 表桜の紋附で木綿の単(ひとえ)、を一つ。
同五年七月九日天保5年(1834)7月9日 少将様の御前で戴いた。
一 浮泉桜御紋附花色御帷子一 浮泉桜御紋附花色御帷子
一 晒御長さらし一 晒御長さらし
一 越後嶋(縞)      一反
     但妻みちへ
一 越後縞、を一反。 但し、これは妻みちへ下さったが、昨年九代が熊本へ休息のために帰った折に、既定の期間より短期で切り上げた事へのつぐないとのご沙汰であった。
同五年十一月十六日天保5年(1834)11月16日 近来とかく申し分は正しく、色々と心配りをしているので、これらを下さるという旨を少将様の
御前で老女の田川へ申達された。
一 八重桜御紋附縮緬綿入御被風一 八重桜御紋附縮緬綿入御被風
一 上田嶋(縞)御単    一一 上田縞の単(ひとえ)、を一つ。
同五年十月二日天保5年(1834)10月2日 雅之進様がまだ公の場に登場される前から厚くお世話を申し上げた、という事で、栄昌院様(熊本藩十代藩主の斉護公の生母で支藩宇土細川家八代藩主立之公の正室)から内々にお送りいただいた。
一 嶋(縞)縮緬 永昌院様ゟ 一反一 嶋縞縮緬、を一反。 
同五年十二月朔日天保5年(1834)12月1日 沢村八郎左衛門が休息中に、ご用を勤めたので頂戴した。
一 嶋(縞)縮緬      一反一 縞の縮緬、を一反。
一 丹後琥珀        一反一 丹後の琥珀染めの縮緬、を一反。
同五年十二月八日天保5年(1834)12月8日 少将様の思し召しによって戴いた。
一 御香爐 形カイチ一 庵銅カイチの形の香爐、を一つ。

一口メモ

上記文中に、少将様と太守様が度々登場しますが、太守とは国主大名(国持大名)を意味しますが、熊本藩は国主扱いにされています。従って、ここで言う太守様は、熊本藩第十代藩主の細川斉護公になります。また、少将様は「少将」が官位を表し、忠興公は左少将従三位参議正三位と位を上げており、忠利公は左少将、綱利公は左近衛権少将の官位を有しています。ここで言う「少将様」は熊本藩第八代藩主の細川斉茲公に当たります。江戸に常駐するに当たり、屋敷を濱町の下屋敷を構えたことから、一時「濱長様」と呼ばれていました。

この年代に、当家九代は熊本藩第十代藩主細川斉護公の嫡男である「雅之進様」の養育係として任命されました。この関係で、少将様をはじめ、太守様や栄昌院様(熊本藩十代藩主の斉護公の生母)から、大きな期待が寄せられ、諸々の賜り物を数多く頂戴しています。

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