在勤拝領之品付(九代武久) その9
くずし字解読
同五年十二月五日 | 天保5年(1834)12月5日 龍ノ口の上屋敷で自らの手で下された。 |
一 太守様御筆 斉護公 一枚 | 一 太守様(斉護公)の筆で書かれたものを一枚。 |
同五年十月廿三日 | 天保5年(1834)10月23日 少将様から戴いた。 |
一 ヒバふ入御鉢植 一鉢 但尾張焼牡丹染付 | 一 ヒバのふ入の鉢植え,を一鉢 但しこの鉢は尾張焼の牡丹が染付されている。 |
同五年十二月廿一日 | 天保5年(1834)12月21日 人数が少ない折に精勤したので、少将様から内々に戴いた。 |
一 御紋附縬綿入御熨斗目 一 | 一 紋附で縬(しじら=縮みじわ)の綿入の熨斗目、を一つ。 |
一 御紋附御帷子 一 | 一 紋附帷子、を一つ。 |
一 八重桜御紋附絽御羽織 一 | 一 八重桜の紋附で絽(ろ=からみ織りの絹)の羽織、を一つ。 |
右同日 | 天保5年(1834)12月21日 思し召しによって少将様から戴いた。 |
一 五三桐御紋附龍紋裏附御上下 一具 | 一 五三の桐の紋附で竜の文様が入った裏付きの裃、を一揃い。 |
同五年十二月廿二日 | 天保5年(1834)12月22日 兼々精を出し、かつ蓮性院様のご用をも勤め、雅之進様の公儀に就いた後のお世話もさせて頂き、この他諸事に心配りをしたので、太守様から内々に頂戴した。 |
一 御紋附裏附御継上下 一具 | 一 紋附で裏附の裃、を一揃い。 |
一 葉桜御紋附縮緬御小袖 一 | 一 葉桜の紋附で縮緬の小袖、を一つ。 |
天保六年六月十一日 | 天保6年(1835)6月11日 今井久兵衛の娘おきせを養女に招く件で、色々と検討したので、少将様から戴いた。 |
一 御紋附縮御帷子 一 | 一 紋附の縮帷子、を一つ。 |
同年六月廿六日 | 天保6年(1835)6月26日 少将様から戴いた。 |
一 おもと御鉢植 一 但尾張焼花車染付 | 一 おもとの鉢植、を一つ。 但し、鉢は尾張焼で花車が染め付けてある。 |
同年七月六日 | 天保6年(1835)7月6日 兼々仕事に励んだので、少将様の御前で戴いた。 |
一 浮泉桜御紋附絽御単 秉形 一 | 一 浮泉桜の紋附で絽織(糸目を透かして織った絹織物)の単、を一つ。但し、下絵は秉(へい=束)形。 |
同年九月十九日 | 天保6年(1835)9月19日 少将様の御前で戴いた。 |
一 青貝細工御卓 一 | 一 青い色をした貝細工の卓(たく=高い台。机)、を一つ。 |
同年十月 | 天保6年(1835)10月 少将様から戴いた。 |
一 春秋山水二幅対御掛物 養川院筆 一品 | 一 春秋山水の二幅對の掛物 但し、養川院(狩野惟信)の筆、を一品。 |
同年十一月九日 | 天保6年(1835)11月9日 少将様のなきがらを国許にお届けするよう命じられ、道中筋に急ぎ入り勤める様に、とのごとで太守様自ら下された。 |
一 御三所物金倶利加羅龍 堀江奥成作 | 一 三所物で金の倶利加羅龍 堀江奥成作 |
一 五三桐御紋附縮緬御小袖 一 | 一 五三桐の紋附で縮緬の小袖、を一つ。 |
天保七年二月廿七日 | 天保7年(1836)2月27日 諦了院様のお道具のうちを、太守様が白金のお屋形に入られる折に、御前で戴いた。 |
一 青貝細工花丸御斬紙 一品 | 一 青い色をした貝細工の花丸(はなまる=渦巻き状の丸の外側に花弁を模したマーク)の切り紙、を一品。 |
一 御印たんす 一 | 一 印鑑をいれる箪笥、を一つ。 |
一口メモ
天保7年2月27日蘭に、諦了院様が初めて登場しますが、実は少将様が天保6年10月23日にお亡くなりになり、その院号が「諦了院」というわけです。従ってこの時の賜り物は形見分けということになります。
当然のことながら、当家九代の武久は諦了院様の亡骸を、国許である熊本までお送りしています。当家十代の武棟は国許で休暇を取っていましたが、少将様の具合が悪いとの知らせを受け、急遽江戸へ向け戻りましたが、途中大坂でお亡くなりになった知らせを受け、舞阪駅から早打ちで江戸に戻り、とんぼ返りで、ご機嫌伺いの惣代の使者として11月24日に江戸を出発、御尊骸を追い12月1日に大蔵谷で追いつき、親子揃って12月12日に熊本に着いています。
当家の十代は、11月9日に熊本を発ち、江戸で二日間留まっただけで、12月12日に熊本に着き、この間、33日間で往復したことになります。