伊勢参宮日記 その7

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
為尓帰り宿須。その目的の為に帰って宿泊した。
五日晴。風つよし。午前八時より、白山老師を訪、不在。         5日晴れ。風が強かった。午前8時から、白山老師(南隠全遇老師)を訪ねたが不在だった。
高崎ニ立寄、不在。岡松甕谷を訪(在宿講)話、高崎に立寄ったが不在だった。岡松甕谷を訪問し話をして、
帰る。帰った。
六日晴。早天、元田を訪。御講書者しめの、志らへ中六日晴れ。早天、元田(東野)を訪。御講書はじめの、講義の準備中
尓付、面會セ須。帰路、津田を訪。在宿。志者し、毛の語につき、面会できなかった。帰路、津田を訪ねたが在宅だったので、しばらくのあいだ、話を
し天立出。林瑚閣(琳琅閣)尓い多り、本を毛と武。帰路、児玉して出発した。林瑚閣(琳琅閣)に着いて、本を買った。帰りに、児玉
天雨を訪。在宿一酌分韵。午后八時帰宿。天雨(児玉源之丞)を訪ねたが、在宿していたので酒を酌み交わしながら、漢詩の分韻を楽しんだ。午后8時に宿に帰った。
七日晴。午前向山来訪。池辺、小笠原、狩野、塩川七日晴れ。午前中に向山(黄邨)が訪ねてきた。池辺、小笠原、狩野、塩川

3行目の「高崎」は、高崎正風(たかはしまさかぜ)と思われます。同氏は東京府知事の高橋五六の従兄弟にあたります。

7行目の「林瑚閣」は、神田の琳琅閣書店で、創業が明治8年(1875)で、今でも営業を続けています。

8行目の「児玉天雨」の「天雨」は、「あもう・あまう」と読む人名です。また、「分韵(ぶんいん)」は「分韻」の正字で、意味は、漢詩の会などで、あらかじめ韻の字を各自に分けておいて詩を作ることです。

児玉天雨は、幕末・明治の薩摩藩士で書家です。天雨は号で、名前は源之丞。昌平黌に学び詩画を得意とします。鹿児島県御用掛となり宮内省に出仕、のち華頂宮家令となります。明治21年(1888)に歿していますので、筆者とはその前年に面談したことになります。やはり、宮内省時代に筆者と知り合ったと思われます。

 

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