先祖附(天保11年12月23日) その30

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  仰付置候處、被遊 御免、當分二丸引除、被 仰付               (参勤のお供を)するよう命じられていたところ、必要ないということで、しばらくは熊本城の二の丸屋敷で待機するよう命じられました。
  濱町様、御帰府之御供、被 仰付旨、御達有之候。  濱町様が江戸にお帰りになる際のお供を命じられる旨の通達がありました。
一 同年三月十五日 少将様、熊本被遊 御発駕、同日一 文政十年(1827)年三月十五日に、少将様が熊本を出発なされ、同じ日に
  御供ニ而罷立、同年五月十一日、江府被遊 御着座、<御供>  お供として出発、文政十年五月十一日に江戸に着座なされ、
  ニ而着仕、當前之御奉公、相勤申候。同年十一月十九日、今度  お供で到着し、当たり前のご奉公を勤めました。文政十年十一月十九日、今度の
  御婚姻、無滞被為濟候ニ付、被遊 御祝、御紋附  ご婚姻の儀式を、滞りなく済ませたので、お祝い遊ばされ、御紋附の
  御上下、同御小袖被下置候。同十一年四月十日、當分白金  裃、御紋附の小袖を戴きました。文政十一年(1828)四月十日、しばらくして、白金に
  引除被 仰付置候処、直ニ、白金引除被 仰付旨、<御達>  待機するよう命じられたところ、直ちに白金で待機するよう命じられる旨の
  有之候。同十二年正月二十一日、先御役以来、多年出精相勤  通達がありました。文政十二年(1829)一月二十一日、これまでのお勤め以来、多年にわたり精をだして勤め、
  別而者 少将様、御奉養筋、厚致心配、支配方江茂  格別に少将様のお世話を、心を配りながら手厚く行い、回りの監督・指揮の人達にも

一口メモ

本シリーズの「その26」でも触れている通り、肥後熊本藩8代藩主の細川斉茲公は、文政3年の4月に熊本に帰国されて以来7年の間同地に滞在され、その間、耇姫様の誕生で充実された生活を送られたようですが、その後御子息である九代藩主の斉樹公を文政9年2月に江戸で亡くし、更に同年の12月には最愛の耇姫様を亡くすという悲しい出来事が重なりました。この間の複雑なお気持ちを断ち切るように、翌年の文政10年2月には江戸に向かいました。

これまで、斉茲公は江戸では濱町の御屋敷で生活されていましたので、「濱町様」と呼ばれていましたが、この時の出府以来、「濱町様」は「少将様」に呼称を変更されたようです。従って、上記の2行目の「濱町様」と3行目の「少将様」は同一人物の斉茲公になります。

また、上記には「二丸」とありますが、当時の二の丸は藩校の「時習館」が置かれ、上級家臣の屋敷が建ち並んでいたとあります。

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