先祖附(天保11年12月23日) その29
くずし字解読
同袷御熨斗目、同御帷子、於 御前、被下置候。 | 同じく紋附の袷の熨斗目、同じ紋附の帷子を、お殿様(十代斉護公)の御前で戴きました。 |
同年同月二十五日、江府被遊 御発駕、御供ニ而罷立 | 文政九年(1826)五月二十五日、お殿様が江戸を出発なされ、お供として同行 |
御道中筋、御用人之諸勤、相勤、同年六月二十七日、御供 | 道中の間は、用人としての勤めをして、同年六月二十七日、お供 |
ニ而着仕、當前之御奉公、相勤申候。同年七月二十日、<御書> | で到着し、当たり前のご奉公を勤めました。同年七月二十日、 |
出、御用懸、被 仰付旨、御達有之候。同年八月二十一日 | お書き出しのご用を命じられる旨の、お達しがありました。同年八月二十一日 |
御入國、被遊 御祝、御紋附御上下、同御帷子<被下> | (お殿様が)就封(帰国)されたお祝いとして、ご紋附の裃、同じくご紋附の帷子を |
置候。同年十月十五日、来年 御参勤之御供<被> | 下さいました。同年十月十五日、来年の参勤のお供を |
仰付旨、御達有之候。同年十二月十五日、御書出御用 | 命じられる旨の通達がありました。同年十二月十五日、お書き出しのご用を |
相勤候ニ付、御紋附御上下、同御小袖、被下置候。 | 勤めたので、ご紋附の裃、同じくご紋附の小袖を戴きました。 |
一 文政十年二月十八日、當年 御参勤之御供<被> | 一 文政十年(1827)二月十八日に、今年の参勤交代のお供を |
一口メモ
文政9年に熊本に帰国されたのは、新しい藩主の細川斉護公で、初めての帰国となります。それまでは、嫡男として江戸に滞在する義務がありました。
文中に「御書出」という言葉が出てきますが、この御書出(おかきだし)とは、知行宛行状など藩主が発行する公的な文書です。御書出の御用を命じられた年は、細川斉護公が肥後熊本藩代十代藩主になられた年で、代替わりによる藩士の知行(土地や財産の直接支配権)の引き継ぎを確認する必要があります。この作業は、先代の知行宛行状を提出させ、この内容を改めて書き写し、新しいお殿様の花押を書き入れて発給することで完結します。
御書出については、眞藤國雄氏の「津々堂のたわごと日録」で詳しく解説されていますので、参考にして下さい。