先祖附(天保11年12月23日) その28

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  被遊 御免旨、御達有之、同二月廿七日  送葬と法事のご用は必要ないとの通達があり、文政九年(1826)二月二十七日
  御家督、御元服、御用懸、被 仰付旨、御達<有之>  (藩主の)家督と元服の御用係を命じられる旨の通達が
  候  ありました。
一 太守様 御家督 御禮、被 仰上候節、御家老一 細川斉護公の家督相続をお喜び申し上げた折にご家老の
  代として 公義江 御目見、被 仰付旨、御達  代理として幕府に対して御目見役を命じられる旨の通達
  有之、同年四月十八日 御城江罷出  があり、同年四月十八日に江戸城へ参上し
  公義江 御目見申上候。同年四月六日、當年  公義に対して御目見を申し上げました。同年四月六日、今年の
  御入國之御供、被 仰付旨、御達有之候。同年五月  熊本への就封のお供を命じられる旨の通達がありました。同年五月
  十八日、今度 御家督、并御元服、御用懸、相勤候ニ付  十八日、この度の御家督と御元服のご用を勤めたので
  被遊 御祝、御紋附御長上下、同御半上下  これを、お祝いなされ、紋付の長裃、同様に紋付の半裃を

一口メモ

文中5行目に「御目見」とありますが、御目見(おめみえ)は通常一般的に貴人や目上の人に会うことですが、ここの「御目見」は極めて重要な意味合いを持ちます。熊本藩十代藩主として、公式に時の11代将軍徳川家斉公に謁見し、藩主としての正式な継承を承認されるという意味合いを持ちます。

当時の江戸時代の大名の相続は、将軍と大名の関係を規定する根幹であり、大名は幕府の相続原則に従って後継者を選択し、定められた手順にそった相続手続きをすることで初めて実現されたと言えます。

当家九代は、当時42歳にして御家老の代役を務めるという大役を果たしました。

当家の、系図には「御目見」という言葉がしばしば登場しますが、これは相続予定の嫡子または養子を当時の藩主に謁見し、公的に認められてもらう大事な儀式だったようです。

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