先祖附(天保11年12月23日) その31

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  熟知与、申添候ニ付、座席、佐敷御番頭、之上座、被 仰付        (支配方についても)細かなところまで良く知っていると付け加えて申し上げたので、座席順は、佐敷番頭の最上位を命じられ、
  御足高百石、被下置旨、被 仰出候。同十三年二月十五日  一代限りの禄高を百石下さると仰せられました。文政十三年(1830)二月十五日
  御國許江、為休息被差立、同三月十三日、御國許江着仕候。同十三年            休息のため熊本へ出発し、同三月十三日に熊本に着きました。同文政十三年
  閏三月十八日、用意濟次第、出府被 仰付旨、御達有之候。  閏三月十八日には、用意が済み次第、江戸に行くよう命じられる旨の、通達がありました。
  同年四月朔日、御國許被差立、同年五月十一日、江戸白金  同年四月一日、熊本を出発、五月十一日に、江戸の白金の
  御屋敷江着仕、當前之御奉公、相勤申候。  中屋敷へ着き、当たり前の奉仕義務を勤めました。
一 天保四年四月十四日、當御役、多年相勤、厚心与用萬事、主ニ       一 天保四年(1833)四月十四日、この役職は長年の間勤め、心を厚く用いて全ての事は、概ね
  成致、出精候ニ付、座席組外同列、被 仰付旨、被 仰出候。  上手にこなし、仕事に励んだので、座席は組外同列となる旨を、仰せられました。
  同年七月、當秋、御國許江休息、被 仰付旨、御達有之  同四年七月、この秋には、熊本に休息のため帰るよう、通達がありました。
  同八月二十八日、江戸表被差立、同九月二十八日、御國許江着仕候。  同四年の八月二十八日に、江戸を出発、九月二十八日に、熊本に到着しました。

一口メモ

上記の座席、すなわち地位について、「桟敷番頭の上座」は、知行取の家老等の上卿(主席)、下卿(次席)、上大夫(上着座)の次の中大夫のグループに属します。「桟敷」とは歌舞伎劇場で良く言われる「桟敷席」の桟敷と同じで、一段高い座席を意味します。また、「上座」は最も上位の席を意味します。つまり、「桟敷番頭の上座」とは番頭という役職の内、最上位の番頭という意味を持ちます。

この役職にふさわしい禄高を調整するため、当家九代は一代限りの臨時の禄高を頂き、知行プラス百石の足高で、千石となりました。

また、8行目に「組外同列」とありますが、これは前の「下卿(次席)」に昇格した意味を持ちます。

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