江崎彦左衛門先祖 その6

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3020

くずし字解読

権右衛門組之面々覚之仕を差上候様被仰付候ニ付銘々権右衛門組の人々の覚え書きをつくり、差し上げるよう命じられたので、それぞれの
仕上候覚之左之通りニ御座候出来上がった覚え書きは次の通りです。
高見権右衛門組十一人高見権右衛門組は11名です。
同 討死小頭
壱人  市川太郎兵衛
この組の中で、討死したのは、小頭の1名で、
その名は、市川太郎兵衛です。
残る
 十人之覚書
残る
 10名の覚え書きは次の通り。
一 覚書 一通   都甲新右衛門
     但首を取候趣
一 覚え書き 一通   その名は、都甲新右衛門
     但し、敵方の首を取りました。
一 同   一通  江崎九郎兵衛一 同じく  一通  その名は、江崎九郎兵衛

一口メモ

阿部兄弟4名の立て籠もる屋敷に討ち入りしたのは、寛永20年2月21日でしたが、二代の当時の年齢は34才で、いわば油の乗り切った時期と言えます。この討ち入りの模様は上妻本阿部茶事談等に見られますが、ここまで詳しくは述べられていません。

阿部誅伐事件の関係資料につきましては、このブログで既に掲載された光尚君御家譜抜書の表紙にありますが、YouTubeに収録されている東宝映画出版株式会社の映画「阿部一族」の討ち入り場面と比較検討してみます。

字幕に表示された討ち入り当日の日付が、「寛永19年10月21日卯の刻」とありますが、これは上記が正しいようです。

討ち入りの人数が表門の場面では少なくとも、50名以上となって大規模です。鉄砲を撃つ人数が8名程もおり、大げさな感じがします。又、戦いの最中に火の手が上がり、屋敷は全焼の様子を示しています。

楽しみにしていた二代権右衛門は、残念ながら討手に仰せ付けられる場面と、目付役である畑十太夫との廊下での会話の場面のみでした。映画では、二代は「お茶の子さいさい」と発言していますが、これは栖本又七郎が、討ち入りが終わった後に発言された言葉とされています。

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