江崎彦左衛門先祖 その7
くずし字解読
但権右衛門懸り場より一番ニ乗込候始終之趣 | 但し、(江崎九郎兵衛は)権右衛門の持ち場から、いつも一番最初に乗り込み活躍した様です。 |
後ニ彦左衛門と改申し候 | 江崎九郎兵衛は、後になって江崎彦左衛門と改名しました。 |
一 連紙ニ而 一遍 野村甚左衛門 大久保徳左衛門 浦 勘之允 廣中太右衛門 | 一 一枚の連なった紙で 一遍 野村甚左衛門 大久保徳左衛門 浦 勘之允 廣中太右衛門 |
但手負共願候者新右衛門九郎兵衛と除相残 | 但し、怪我をしたと、申し出たのは都甲新右衛門と、江崎九郎兵衛を除いた残りの人達 |
面々一同ニ連紙仕候筈ニ御座候得共相並ニ違 | 皆々一同に一枚の連なった紙で記名する筈でしたが、並べて書かずに、 |
手を負候ニ付四人ハ色紙仕上候 | 怪我を負ったので、この4人は色紙に書きました。 |
一 同 一通 残ル四人之者共 | 一 同じく 一通は、残った4人の人達です。 |
一口メモ
眞藤國雄先生の「肥後細川藩拾遣」というサイトの中に、「新・肥後細川藩侍帳」という、大変充実したデータベースがあります。
このデータベースは、細川藩士の存在や、名前を確認するときに、大変重宝させて頂いています。今回も上記の氏名について調べて見ましたが、中々ヒットしません。その理由は、細川藩士に仕える足軽等は、藩士ではないため、このデータベースの対象外となっているからです。但し、氏名そのものの存在は貴重で、一族が細川藩に存在していたという確認をとることが出来ます。前頁の「都甲」という名字は大変珍しく、くずし字解読の確認をする事ができる上に「都甲新右衛門」が存在していたに違いないと思えるからです。