武久君御奉公覚(武棟) 1
くずし字解読
文化二年十一月ヨリ | 文化2年(1805)11月から |
高見権右衛門武久君 <御名乗初政久 文政八年四月、改之父字指合ニ付武久ト御改> | 高見権右衛門武久君 <名前は初め政久であったが、文政八年四月に、父名前に差し障りがあったため武久と改名した。> |
御奉公之覚 | 勤務内容の記録 |
此帳面代々之旨廉固各此之様可録候歴代之面々 | この記録は各世代について特に取り上げるべき事項をまとめたので、歴代の皆々は |
自分良く之御奉公帳是又無麁畧書記可致 | 自ら十分にこの御奉公帳を良く理解し、雑な扱いや省略などせずに書き写すこと。 |
事後年ニ至歴代御奉公振相分不申而者残念之至ニ候 | 後年になって、歴代の勤務のやり方が判らないようであっては残念至極である。 |
一口メモ
上記の「御奉公之覚」は、和綴じ本になっていますが、ここではその表紙に記述された内容を紹介しました。筆者は九代武久の養子である十代武棟ですが、九代は日頃几帳面に御奉公に関わる事象を記録していたため、十代がこれをまとめ上げたものと思われます。中身は、九代の系図の欄に詳しく記載されていますので、ここでは省略させていただきます。
尚、文中に改名のいきさつが記述されていますが、これは歴代の当主の内、ニ代の重政、五代の正武、七代の政朱、八代の政信、等々に「政」の文字が使用されていたため、養子の立場でそのままの名前「政久」を名乗るには畏れ多いと判断されたものと思われます。