武久君御奉公覚(武棟) 2
くずし字解読
権右衛門武久君天保十一年十二月廿三日 | 権右衛門武久君は、天保11年(1840)12月23日 |
若殿様寒氣御廻勤之御供被為成 御帰座至江戸 | 若殿様(雅之進樣)が寒い日に廻勤(元服のお礼参り)のお供をされた時その帰りに江戸の |
白金聖坂上ニ而御卒倒其儘死去ニ被為成候御歳 | 白金聖坂の上方で、卒倒されそのまま死去された。御歳は |
五十六歳聖坂中功運寺中ニ奉葬 | 56歳で、聖坂の中程にある功運寺に葬られた。 |
御法名 真龍院殿乾道義強居士 | 法名は、 真龍院殿乾道義強居士 です。 |
御遺髪者高麗門妙立寺中ニ奉葬候事 | 遺髪は国元である熊本の高麗門にある妙立寺に葬られた。 |
高見嶋之助武棟 跋書 | 高見嶋之助武棟 後書する。 |
一口メモ
上記の「御奉公之覚」は、和綴じ本になっていますが、ここではその最終頁に記述された内容を紹介しました。
若殿様とは、雅之進様(細川家熊本藩十代主斉護公の長男泰樹院)のことで、嫡子で後々熊本藩細川家の十一代になる筈でしたが、残念な事に高見権右衛門武久が没した8年後、24歳の若さでお亡くなりになりました。当時は16歳ということになります。
当家九代は、日頃酒好きでしたが、午前中に飲酒しても着実に仕事をこなしていたので、お殿様から特別にお許しを頂き、お酒の提供まであったとの話を聞いております。また、文中にあるように寒い日であったようで、馬上から転げ落ちて落命したとの話も聞いておりますので、恐らく脳溢血などの急病で倒れたものと推測されます。
尚、この文書の解読に当たりましては、Facebookのグループ「古文書が読みたい!」のメンバーの皆様のご協力を戴きました。ここに改めて御礼を申し上げます。