武久君御奉公覚(武棟) 2

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3014

くずし字解読

権右衛門武久君天保十一年十二月廿三日権右衛門武久君は、天保11年(1840)12月23日
若殿様寒氣御廻勤之御供被為成 御帰座至江戸若殿様(雅之進樣)が寒い日に廻勤(元服のお礼参り)のお供をされた時その帰りに江戸の
白金聖坂上ニ而御卒倒其儘死去ニ被為成候御歳白金聖坂の上方で、卒倒されそのまま死去された。御歳は
五十六歳聖坂中功運寺中ニ奉葬56歳で、聖坂の中程にある功運寺に葬られた。
御法名 真龍院殿乾道義強居士法名は、 真龍院殿乾道義強居士 です。
御遺髪者高麗門妙立寺中ニ奉葬候事遺髪は国元である熊本の高麗門にある妙立寺に葬られた。
高見嶋之助武棟  跋書高見嶋之助武棟 後書する。

一口メモ

上記の「御奉公之覚」は、和綴じ本になっていますが、ここではその最終頁に記述された内容を紹介しました。

若殿様とは、雅之進様(細川家熊本藩十代主斉護公の長男泰樹院)のことで、嫡子で後々熊本藩細川家の十一代になる筈でしたが、残念な事に高見権右衛門武久が没した8年後、24歳の若さでお亡くなりになりました。当時は16歳ということになります。

当家九代は、日頃酒好きでしたが、午前中に飲酒しても着実に仕事をこなしていたので、お殿様から特別にお許しを頂き、お酒の提供まであったとの話を聞いております。また、文中にあるように寒い日であったようで、馬上から転げ落ちて落命したとの話も聞いておりますので、恐らく脳溢血などの急病で倒れたものと推測されます。

尚、この文書の解読に当たりましては、Facebookのグループ「古文書が読みたい!」のメンバーの皆様のご協力を戴きました。ここに改めて御礼を申し上げます。

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