寒山詩偈讃歌 44

和歌短冊 その6
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4006

206

碌碌群漢子萬事由天公
碌碌たる(平凡で役に立たない)群漢子、萬事天公(上帝)に由る。
よしあしもみな天地のなすわざとしらで心にまよふおろかさ

物事の善し悪しは、全て天地の神々のなせる業と知らないで、迷うのは愚かしいことだ。

207

三車在門外載尓免飄蓬
三車門外に在り、尓を載せて飄蓬を免れしめん。

注) 「三車」とは羊・鹿・牛の三車。「」の正字は人扁に、旁は人冠に小。「飄蓬」とはつむじ風でほつれ乱れる意味(無常輪廻)。

すくひ出す三の車のなかりせば終に身をさへやくべきものを

救ってくれる三つの乗物つまり、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗がなかったら、最後には焼かれてしまっただろうに。

208

朝朝無閒時年年不覺老
朝朝閒時無く、年年老を覺えず。
一年をやすき日もなくすぐる身のはては地獄となるぞはかなき

一年を通じて休まる日もなく、過ごす人の行き着くところが地獄とは、何とむなしいことか。

209

時人尋雲路雲路杳無蹤
時の人雲路を尋ぬ。雲路杳(えう=暗くて良くわからない)として蹤(あと)無し。
白雲のはてなき道をたづねなばはやくこヽろのありかさだめよ

白雲が立ち込めているような、終わりのない道を尋ねるのであれば、できるだけ早く自分の心構えだけは、はっきりとしておきなさい。

210

時逢林内鳥相共唱山歌
時に林内の鳥に逢うて、相共に山歌を唱ふ。
鳥うたひわれこたへつヽあそぶ身のたのしきこヽろ人はしらじな

野鳥がさえずり、私がそれに答えて鳴きまねをする。こんな楽しいことを他人は知っているだろうか。いや、知らないだろう。

一口メモ

上記短冊の俳句は件の Facebook「古文書が読みたい!」のメンバーにより、解読頂きました。

詞書  昭憲皇太后御歌  慎獨

ひとりのミおもふこころ乃よし阿し母てらし分くらむ阿めつち能可み
ひとりのみおもふこころのよしあしもてらしわくらむあめつちのかみ

意味  誰にもわからないであろうと、心の中で密かに思うことでも、天地の神々は、しっかりと其の善悪を知っておられる。

  注)  昭憲皇太后は、和歌や古典文学に造詣が深く、特に和歌は3万6千首にも上る歌を残されています。一方、祖厚禅師は明治8年33歳の時に宮内省雑掌として古器物保存係として奉仕し、明治16年に退官するまでの七年間の間に昭憲皇后(美子様)に対して和歌の指導に当たったと言われています。

詞書  竹  實勲

竹乃葉の色も登き者尓於ひそふる者留秋お奈し千丗能可計かも
竹の葉のいろもときはにおひそふるはるあきおなし千世のかけかも

  注)  「秋」の正字は偏と旁が逆の別体です。

詞書  山家夏月  廣足

都尓者夏とや見ら舞山里能よ那/\秋尓数める月影
都には夏とや見らむ山里のよな/\秋にすめる月影

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