十代 高見権右衛門武棟 (7)
白金詰被 仰付候同年十月九日 若殿様御入國之御供調被 仰付候
同六年二月五日當年 若殿様御供ニ而四月十一日江戸被差立五月十六日御
國許着同七年四月四日用意済次第出府被 仰付同廿八日御國許被差立
同五月廿六日江戸表へ着仕候安政元年十一月十一日来年御帰國之御供被 仰
付同三月七日御供ニ而江戸表出立同四月十六日御國許へ着翌十七日より痛所ニ而
引入申候同年五月十五日長谷川十之允組御番頭被 仰付候然ル處痛所ニ而御役儀難相
勤御断申上度同八月奉願候処同十月十五日願之通被遊 御免御留守居大頭之組ニ
くずし字解読
若殿様御入國之御供調被 仰付候(わかとのさま、ごにゅうこくの、おともしらべを、おおせつけられそうろう)。若殿様(細川慶前公)が、熊本に帰国されるに際し、そのお供調べを命じられた。
四月十一日江戸被差立(しがつじゅういちにち、えどをさしたたれ)。4月11日に江戸を出発し。
用意済次第出府被 仰付(ようい、すみしだい、しゅっぷを、おおせつけられ)。準備ができ次第、江戸への出府を命じられ。
来年御帰國之御供(らいねん、ごきこくの、おとも)。来年に帰国されるお供を【命じられ)。
御供ニ而江戸表出立(おともにて、えどおもて、しゅったつ)。お供で、江戸を出発。
長谷川十之允組御番頭(はせがわ、じゅうのじょうぐみ、ばんがしら)。長谷川十之允組の番頭(番衆の長)(を命じられた)。
願之通被遊 御免御留守居大頭之組ニ(ねがいのとおり、ごめんあそばされ、おるすい、おおがしらの、くみに)。願いの通りお役が免じられ、留守居の大頭の組に(編入された)。
十代 高見権右衛門武棟 (8) に続く