寒山詩偈讃歌 28

細川悦子様 御筆 萩に鶉
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4057

126

觀者滿路傍個是誰家子
觀る者路傍に滿つ、個は是れ誰(た)が家の子ぞ。
うらやまし富みまづしきも身にもちて生れいでたる人のたからは

金銭面で貧しくとも、生まれつき身に着いた尊い心映えは、羨むに足るものだ(武田智孝氏訳)。

127

唯知打大臠除此百無能
唯だ大臠(れん=切り身の肉)を打つことを知る。此を除いては百無能。
世にいでヽ人とうまれしかひぞなきものヽ命をころすばかりは

動物や植物の命を、むやみに奪ってしまうような人は、人間として生まれ出たこと自体が、無益であったといえる。

128

本在心莫邪心邪喪本命
本(もと)在るは心に邪なければなり。心邪なれば本命を喪ふ。

注) 本在云々。本とは身。心は本来邪なし。心に邪なきが故にこの身あるなり。本命とは、法身の慧命、天地の明命。

心だにうごかざりせは世の中のちりにまじるもいとはましやは

せめて、心だけでも安定していれば、世の中の醜さに遭遇しても、決して嫌な思いをすることはない。

129

仲翁自身亡能無一人哭
仲翁自身亡ずるときは、能く一人の哭(こく=大声で泣く)する無し。
たのまじな百千の人はあつめてもまことなければなきにまされり

人をたくさん集めても彼らに誠の心(誠意)がなければいない方がまし、頼みにならないので、それは止めた方が良い(武田智孝氏添削)。

130

楊修見幼婦一覽便知妙
楊修は幼婦を見、一覽して便(すなわ)ち妙を知る。
妙をしるまなこなければ世の中に知己すくなしと君やうらみむ

優れたところを見抜く眼力がないので、世の中に友人がいないなどと、君は不満を託つて(かこって=ぐちをこぼして)いるのではないのか(武田智孝氏訳)。

一口メモ

上記巻き軸の画像「萩に鶉(うずら)」は、肥後細川藩十二代藩主である細川護久公の息女悦子様(明治10年/1877~昭和20年/1945)の御筆です。

悦子様は、公爵の一条実輝様の夫人になられました。

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