寒山詩偈讃歌 27

南隠老師 筆 掛軸下部
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4001

121

好好善思量思量知軌則
好好善く思量せよ、思量せば軌則を知らん。
家もなく身もなきものとさとりなば玉のうてなも慕はじものを

住む家もなく、社会的な地位もない者と自覚していれば、美しい高殿も欲しいとは思わないだろうに。

122

之子何惶惶卜居須自審
之の子何ぞ惶惶(こうこう=おそれる)たる。居を卜(と=共にする)せば須らく自ら審にすべし。
百敷の家もかひなしみがきなすこヽろのひかりゆたかならずば

修練して、豊かな心にしければ、宮中のような立派な住まいに暮らしても、何の意味もない。

123

應是別多年鬢毛非舊色
應に是れ別れて多年なるべし。鬢毛舊色の非ず。
年月をよそにわかれて逢見ればもとのすがたのかはるのみかは

どれだけの年月が経過したかは別として、別れてから再会して気が付くことは、姿かたちだけでなく心も考え方も変わってしまったことだ (武田智孝氏添削)。

124

自身病始可又為子孫愁
自身の病は始めて可なり、又た子孫の為に愁ふ。
此世にて道をきかずば終にまたのちの世かけてうきをのこさむ

生きている内に、道理を教えて貰わないと、最後には来世にまでも悔いを残してしまうであろう(武田智孝氏添削)。

125

子細推尋著茫然一場愁
子細に推尋著(すゐじんぢゃく)すれば、茫然たる一場の愁のみ。
おのが身ををさめぬのみか世の益もなさずくちゆく人あはれなり

自分の行動を正しく修めるよう尽力しないで、死んで行く人は気の毒なことだ(武田智孝氏添削)。

一口メモ

上記画像の内容は、白隠慧鶴の禅書「槐安国語」の一節に記載されていることをFacebookの「古文書が読みたい!」のメンバーの方からご教授いただいた。改めて御礼申し上げます。解読は次のとおりです。

百千毒皷同時響。吼破虚空無點痕。
百千ノ毒皷同時ニ響ク。 たくさん鼓(つづみ)が同時に響く。吼破リ虚空點痕無シ。 大きな音が大空を破りあとかた無し。

丙申春三月 希有庵主 1896年 明治29年  (この年は、祖厚禅師が南隠老師に弟子入り後3年目に当たります)。

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