豊後街道を辿る その20

13里木から、本日の宿泊地である南阿蘇村に戻る途中に、この震災遺構の展望所に立ち寄りました。左画面説明板の内容です。

南阿蘇村震災遺構  「数鹿流崩れ」(大規模山腹崩壊)

かつでこの場所は、国道325号と国道57号が阿蘇大橋によって交わる、熊本市街と南阿蘇村をつなぐ交通の要所となっていました。しかし、2016年4月16日の熊本地震(本震)により、山頂付近から大規模な斜面崩壊が発生し、国道57号や豊肥本線を飲み込み、阿蘇大橋も崩落してしまいました。この時、国道57号を通行していた1名の尊い命が犠牲となっています。  その後、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て、およそ4年半の歳月をかけて斜面、国道、鉄道の復旧が完了。この大崩れは、険しい自然と、それに対する人々の挑戦の歴史を後世へ語り継ぐ遺構として、この地に古くから伝わる名から「数鹿流(すがる)崩れ」と命名されました。

中画面が、峡谷の中腹にのこる橋桁の一部を、岩盤に固定して残された阿蘇大橋の橋板です。右画面は、崩落前の阿蘇大橋です。阿蘇大橋が崩落した原因は、橋の直下の断層が動き、地盤がずれて橋を圧縮する強い力が懸かったことによると言われています。

新阿蘇大橋のたもとに、新阿蘇大橋展望所「ヨ・ミュール」(左画面)があります。ヨ・ミュールとは、熊本弁で「良く見える」という意味だそうです。中画面が新阿蘇大橋で、歩道が整備されています。説明板には下記の記述がありました。

新阿蘇大橋

新阿蘇大橋は、2016年(平成28年)4月16日1時25分、熊本地震本震の発生によって崩落した阿蘇大橋の架け替えとして、元の橋から黒川の約600m下流であるこの地に架設されました。  本橋は、深い谷や活断層の存在が推定される箇所を跨いで架けられています。このため、熊本地震での教訓を踏まえ、将来大きな地震が生じた際にも地域活動に及ぼす影響を、できる限り少なくなるように配慮した橋づくりがされています。  2016年(平成28年)11月に工事用道路工事に着手し、高度な施工技術の導入と24時間体制の施工により、2021年(令和3年)3月に完成しました。

右画面では、県道299(草千里浜栃木線)に掛かった阿蘇長陽大橋と、南阿蘇鉄道の鉄橋(第一白川橋梁)が見えます。

この辺りの峡谷は立野峡谷と言い、別府ー島原地溝にある布田川断層帯に属していますが、阿蘇のカルデラ形成以来、度重なる地震やカルデラ湖崩壊による洪水、火砕流、溶岩流などによって外輪山が崩壊して形成された阿蘇唯一の峡谷(火口瀬)と言われています。

豊後街道を辿る その20” に対して2件のコメントがあります。

  1. 武田智孝 より:

    小生の小学生くらいまでの本籍地は熊本県阿蘇郡(当時は郡)だったと記憶します。父の生まれ故郷です。その後当時住んでいた兵庫県宍粟郡(今は市)山崎町が本籍になりましたので、阿蘇郡の後が何だったか思い出せないのですが、黒川とか内牧といった地名を耳にした記憶があるので、そのあたりではなかったかと思います。いずれにせよ阿蘇山の麓です。Googleの地図に付属している写真を見て、そこに行ったこともないので懐かしいというのは当たりませんが、感慨深いものを覚えました。

    1. 高見洋三 より:

      武田智孝様
      コメントありがとうございます。貴殿も、熊本に地縁があるとのこと。嬉しい限りです。内牧も、黒川も今回初めて知った地名でしたが、いずれも豊後街道の要衝ですね。内牧は、熊本から二日目の宿泊地、黒川と、白川や黒川温泉との関係は良く知りません。

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