豊後街道を辿る その19
坂梨御茶屋
坂梨の豊後街道は、国道57号に平行した一本南の道ですが、坂梨の御茶屋跡は平口という所にあったようです。現在の建物は、明治2年に改築されたもので、当時の御茶屋番であった市原家の末裔が居住されており、公開されておりません。詳しくは「豊後街道 坂梨宿」のホームページを参照ください。
参勤交代当時は、阿蘇神社の裏を迂回し、正規の街道を通過せずに、直接御茶屋へ向かったようです。
坂梨番所跡
坂梨の宿場街道の東詰めは、大きく北方向に曲がる、いわゆる「鍵の手」になっていますが、この街道の左手に坂梨の番所跡があったようです。左画面は、番所とは関係ない建物ですが、ここにあったようです。国道57号と交差する手前に坂梨公民館がありますが、この駐車場に、江戸時代の関所を模した築造物があります。中画面は、一里山と呼ばれる小さな丘ですが、この丘に石の祠、秋葉山大明神などの石柱がありました。また、左画面のように、「勝海舟と坂本龍馬が行く」、「伊能忠敬宿泊の地」、「高山彦九郞」宿泊の地の石碑がありました。
十三里木
国道54号と交差する坂梨の宿場街道の出口には、左画面のような案内板と共に、十三里木の標識がありました(中画面)。この標識は50m手前の、一里山「鍵の手」にあったものが移築されたようです。右画面は、同じ場所にあった「数鹿流崩(すがるくずれ)之碑」で、説明板には次のような記述がありました。
数鹿流崩れ 工事完成祈念碑
平成28年4月16日、熊本・阿蘇地方を襲った最大震度七の大地震により、黒川右岸山頂付近より大規模山腹崩壊が発生。国道57号、豊肥本線、国道325号阿蘇大橋が被災し、熊本と阿蘇を結ぶ交通が断たれ、大学生一名の尊い命が奪われた。 被災翌月、国直轄砂防事業による復旧工事に着手し、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て、令和2年10月に工事が完成した。この大崩れを、震災の記憶と、険しい自然に対する人々の挑戦の歴史を語り継ぐ遺構として「数鹿流崩れ」と命名し、爰に記念碑を建立する。