豊後街道を辿る その18

阿蘇神社から県道11号を1km程南下すると、宮地駅前交差点で国道57号に至ります。ここを1.2km東に進むと右に入る道があります。ここが、豊後街道の坂梨宿の入り口です。この街道の入口には、水車の模型(左画面)、水場のシンボル(中画面)、<坂梨宿には、上町・東仲町・桜町の3ヶ所の水場がありますが、これはその一つである桜町の水場を示しています>、恵比寿石神(右画面)がありました。街道は昔の宿場町の風情が残され、魅力あるものでした。

街道筋や、ちょっと離れた場所に上記のような地蔵尊などの石仏が沢山見られ、信仰の厚さが窺われます。左画面は「坂梨新八十八ヶ所」の第八十四番で、十一面千手観音菩薩の札所です。小さな石仏の左側が弘法大師(高さ39cm)、右側が十一面千手観世音菩薩(高さ43cm)です。

坂梨宿入り口から400mほど、東へ進むと、橋の手前に「町指定史跡 坂梨手永会所跡」(左画面)の標識があります。いわゆる熊本藩士の詰所です。中画面は、天神橋(めがね橋)ですが、案内板には次の様な記述がありました。

天神橋(めがね橋)

天神橋の工事は、あしかけ3年を要し、約百個の石がみごとなアーチをえがいている。橋のたもとには「弘化四年丁末吉辰(1847)八代群種山手永(現東陽村)棟梁 石工卯助」と刻まれている。卯助の最大の事業は、緑川に架けられた下益城郡砥用町清水の霊台橋で、石工棟梁種山の卯助ら総勢72人で行われたとある。この霊台橋が完成の日、彼はもう天神橋の着工に向けて出立していたという。  卯助は最後の一石を頂点にはめる時、その真下に威儀を正して正座したといわれ、覚悟の程が偲ばれる。                                                 一宮町

天神橋を渡ると、すぐ左に鎮座する天神社(右画面)がありました。入り口の右手前には石碑があり、そこには「秋葉山大権現」と書かれていました。火防の霊験あらたかとして建てられたのでしょう。

更に、街道を東に進むと、子安観音像の案内板があり、そこを左に入ると、その奥に天神社(左画面)があり、その左隣には御堂があり、その御堂の中には高さ160cm以上の大きな子安観音像が鎮座していました。説明板には次の様に記述されていました。

市指定有形文化財(彫刻)  木喰上人(もくじきしょうにん)作子安観音像(昭和52年12月16日指定)

木喰五行明満上人(木喰上人)は、江戸時代後期に甲斐国(現在の山梨県)で生まれた人で、全国を遍歴して修行した僧侶(遊行僧)です。日本全国を旅し、訪れた先で一木像の仏像を刻んで奉納したため、全国各地に上人が彫った「木喰仏」が伝わっています。  木喰仏の彫刻はなめらかで像容は全体的に丸みを帯び豊満で、面容も円満なものが多いことから、上人の作風を象徴して「微笑仏」の名で親しまれています。  ここに祀られている子安観音像は、寛政年間(西暦1790年頃)に上人が坂梨を訪れた際、子宝に恵まれなかったこの地の富豪虎屋の夫人の頼みを受け、上人が等身大の観音像を彫ったものと伝えられています。天神様境内の御堂に祀られて以来、その霊験により、子どもの病気治癒や母乳の出が良くなるよう祈願する人々の信仰をあつめ、現在も地域の人々の手で大切に守り伝えられています。 平成26年3月 阿蘇市教育委員会

また、付近には天神社(右画面)が祀られており、その右にも秋葉大権現の石碑がありました。

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