豊後街道を辿る その13

二重峠の坂下に向かうため、車は一旦、元のミルクロードと県道23号線の交差点に戻り、県道23号線で峠を迂回するように下ると、途中に二重峠坂上で見た牛王の水が道路脇に流れ出ていました(左画面)。坂下の専用駐車場(中画面)に車を停め、坂下に進むと入り口の右手に小さな「車帰菅原神社」がありました。菅原神社は全国に多数ある、言わずと知れた学問の神様の菅原道真を祀る神社で、全国に8、000ヶ所あるそうです。阿蘇市内だけでも16ヶ所あるようです。

菅原神社の鳥居を右後にして進むと快適な道(左画面)に出ますが、まもなく小さな石橋に至ります。ここが二重峠石畳の終点になります。石橋の下は、見事な排水溝がありました。付近の説明板には、次の様な解説がありました。

排水溝(水きり)

適所に石畳を横切る溝をつくり、流れてきた山水を流し、石畳の流失を防ぐために設けられたものです。 このような排水施設は他には例がない特別な工法だといわれています。

しばらく坂上に向かって進むと、右手にお茶屋跡がありました。一般的に「御茶屋」とは細川藩独自の名称で、藩主が宿泊・休憩する施設(本陣)でしたが、ここは山中のため簡素な造りだったようです。

駕籠据場の中には二基の駕籠を置くための、石で出来た台座がありました。説明板には次の記述がありました。

駕籠据場

この石畳の急坂を、駕籠を担いで登るのは、かなりの重労働です。峠の途中のこの駕籠据場も、一時の休息をとるために設けられたものでしょう。

ここで、石畳を引き返しました。

豊後街道を辿る その13” に対して2件のコメントがあります。

  1. 武田智孝 より:

    両脇に排水溝のある石畳の道は興味深いですね。それが今も残って(記念に残されて)いるというのも素晴らしいです。

    1. 高見洋三 より:

      武田智孝様
      コメントありがとうございます。排水溝は、二重峠の石畳に限らず、あちこちで見かけることができました。これは、記念ということではなく、頑丈に作られたため、現在までそのまま維持されているという解釈の方が良いのではないかと思います。
      阿蘇地区は火山灰が降り積もり、道路が雨に侵食されやすい土壌なので、石畳で頑強に構築され、排水には細心の注意が払われた賜物と思います。
      追伸: 今日、入院しました。

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