豊後街道を辿る その7

JR豊後線三里木駅の前の植え込みに三里木跡の標識がありました。真新しいもののようですが、下記の文言が刻まれていました。

 三里木は、熊本城(札の辻)を起点とした豊後街道上約12キロの地点にあり、以前は数本の榎があり里数木の伝承を留めていたが、現在は地名に残すのみである。
  平成十年三月 菊陽町教育委員会

三里木跡を通過してから、ようやく豊後街道の杉並木が県道337号の両側に現れてきました。上の画像の通り、左から杉並木、JR豊後線の架線、県道337号、杉並木と並行しており、この街道の道幅は、何と40m以上もある、とてつもなく幅広い街道です。これは、「大津街道菊陽杉並木」と呼ばれ、日本の道100選に選ばれています。

豊後街道の内、熊本市と大津町を結ぶ区間を、別に大津街道と呼ばれています。これは加藤清正公により敷設されたもので、その目的は何だったのか? 先ず、自らの参勤交代のための専用道路、杉並木は、一説には熊本城改築のための植林、また一説には敵の来襲に備え、有事の折は杉の大木を切り倒して敵の進むのを妨害するという戦略的なものであったようです。

また、JR豊後線の通っている所は、街道内の一部が低くなった所で、この高低差も空堀のような役割を持たせ、敵の来襲に備える工夫が凝らされていた、と云われています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

未分類

次の記事

豊後街道を辿る その8