豊後街道を辿る その1

従前より、熊本から江戸への参勤交代のルートを辿って見たいと思っていましたが、ようやくそのチャンスに恵まれ、実現することが出来ました。とは言え、時間の制約もあり、今回は、熊本城から大分県の鶴崎までの豊後街道を車で訪れることにしました。途中車では行けない旧街道がありましたが、今回はそこは割愛させていただきました。

当家の系図では、参勤交代に御供をした記述が、いくつか確認できますが、この中で天保14年(1843)2月5日から3月4日まで、熊本藩主第十代の細川斉護公に御供をした当家十代の権右衛門武棟(当時44歳)の例を挙げてみると、所要日数は30日と、2年前の前回の29日と共に、最も短期間の参勤でした。このルートは、豊後街道から鶴崎を経て、御座船の波奈之丸で大坂へ着船、東海道経由で江戸に向かったものと思われます。

参勤時に於ける熊本から鶴崎までの豊後街道での日程は、通常4泊5日を要したようです。

上記の画像は、十一代熊本藩主細川韶邦公が、万延元年(1860)10月24日に江戸から藩主として初めて熊本に就封(入部)された時の絵図の一部です。この絵図は鶴崎の剣八幡宮所蔵で、長さ35m、幅31cm、描かれた人物は何と870名を越えているとのことです。

上の画像が、その絵図の全体図ですが、これは2018年に大分市鶴崎公民館で公開されたときの模様です。

この「豊後街道を辿る」は、全36回に分けてお送りしますが、街道上の参勤関連の史跡の他に、歴史的な建造物等をできるだけ多く取り上げるように努めます。

豊後街道を辿る その1” に対して2件のコメントがあります。

  1. K より:

    初めまして

    私も車になると思いますが
    参勤交代の道を辿ってみたいと思っております
    こちらのblogも参考に旅ができたらとコメント致しました。
    宜しくお願いします(ぺこり)

    1. sokei より:

      コメントありがとうございます。
      時間があれば、本来は徒歩にてじっくりと辿りたいところです。一部旧道が崩れていたりして、車では通れない処がありますので、事前に充分調査されることを提案します。特に、大分県側では、標識が少なく、迷い込む可能性もあります。お気を付けてお出かけ下さい。

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