蘇生の歌

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5025
於毛ひ幾や 末多不る郷尓 か弊李おもひきや またふるさとに かへり
來天 多知可へ流年廼 本義乎きて たちかへるねの 本義を
せ舞登盤  七十三翁 丙辰元旦  廣川せむとは  七十三翁 丙辰元旦  廣川(祖厚禅師雅号)
今日還迎両度新。 再生何識祝今日還た迎ふ両度新なるを。 再生 何ぞ識らん(祝)
佳晨。 帰来喜見児孫楽。 一笑佳晨を祝ふを。 帰来 喜び見る 児孫の楽しみて。 一笑するは
悠々夢裏人。 丙辰元旦 七十三翁  林泉悠々たる夢裏の人。 丙辰元旦 七十三翁  林泉(祖厚禅師雅号)

上記の画像は、祖厚禅師が大正5年の元旦に蘇生できた喜びを和歌と漢詩にしたためたものです。大正4年6月の72歳の時に大徳寺の高桐院から,長崎島原の魁村に転居、移住しました。その年に一度危篤状態になり、周りが死亡したものと思い込み、葬式の最初の行事である末期の水を唇に湿したところ、フーと息を吹き返したというエピソードがありました。まさに古くから末期の水は死の最後の確認と言うことでした。

1行目、「おもひきや(思ひきや)」=想像しただろうか、いや、しなかった。 2行目、「本義」=本来の意義。 4行目、「還た(また)」=元の状態に戻る。 5行目、「佳晨(かしん)」=めでたい日(佳辰)。6行目、「夢裏(むり)」=夢の中。

【意訳】

(和歌)

また故郷に戻ってきて、家族が見たように自分が蘇ったこの年に最も大切な意義、つまり命がなくならなかったとは誰が想像したであろうか。

(漢詩)

今日、元旦をまた迎えて再び新な気持ちになった。 命が蘇り、目出度い日を祝うのがどういうことだろうか。 この世に帰って来て、児孫達の喜ぶ姿を見て 、悠々たる夢の中の人を一笑した。

尚、本文の解読は件のFacebook「古文書が読みたい!」のメンバーの方々に多大なご協力をいただきました。

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