伊勢参宮日記 その20(完)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
い者武。可しこしや、きた奈き國の、えミしら尓、末し言はむ。賢しや、汚なき国の、蝦夷らに、まし
ろふ可良尓、大丈夫の、身をは者奈多ぬ、つるき末て、ろふうからに、大丈夫の、身をば放なたぬ、剣まで、
いぬき捨つゝ、う者多末の、やミ尓末与へる、世乃射貫きつつ、うばたまの、やみに迷へる、世の
さまを、奈介く人奈く、下り行、道の知末多尓、迷ひさまを、歎く人なく、下り行き、道のちまたに、迷ひ
つゝ、今日あらたる、のりことを、此上もなく、めて曽やし、          つつ、今日あらたる、告り言を、この上もなく、愛でそやし、
この上も奈く、多ふとミて、よろこふ人ハ、安見しゝ、この上もなく、貴ふとみて、喜ぶ人は、安見知し、
我大君の、神な可良、つ多ふる道尓、く良き人可毛。我大君の、神ながら、伝ふる道に、暗き人かも。
   短歌   短歌
のりことの、なきそたふとき、能りこと(合字)の、奈くて治る、國そ尊き。天皇の仰せが、ないことが貴い事である。天皇の仰せが、なくても治る、国こそ尊いものだ。

1行目の「えみし(蝦夷)」は古代、東北地方から東部日本に居住していた先住民。えぞ。えびす。「ましろふ」=ある線にすれすれになるほど近づく。迫る。接近する。3行目「うばたまの」=黒、闇、夜、夢などの枕詞。 5行目「のりこと(告り言)」=天皇のおおせ。みことのり。 「愛でそやし」=おだてあげる。 6行目「安見知し」=「我が大君」にかかる枕詞。 9行目の「のりこと」、「能りこと」の「こと」はいずれも合字です。

前頁からの長歌の意訳を試みますと、大方次の通りかと思われます(自信がありませんので皆様のご意見をお聞かせください)。

口外するのも恐れ多いことだが、三種の神器を謹んでお祝いして、朝な夕なに大事な日本の国を広く知らしめよと仰せになった天皇、その昔から今日まで絶えることなく、代々お治めになったのに、今更何を改めて、日本の掟と言って、何と賢いことか、汚れた国の蝦夷に接近して、頑強な身を放り出し、刀剣までを振りかざしながら、闇の中で迷ってしまった世相を歎く人もなく、北方に向かい、多くの道で迷いながら、この日に改まった天皇の仰せをこの上もなく愛でそやし、貴きものと見なして、喜ぶ人は、天皇の神聖なる伝導の意味を理解できない人である。

以上にて「伊勢参宮日記」は終わりますが、これまでFacebookの「古文書が読みたい!」のメンバーの方々による解読のご指導のおかげで何とか内容を把握することが出来ました。ここに改めて御礼申し上げます。引き続き同じ著者による「夢ものかたり」を6回に渉って掲載します。

伊勢参宮日記 その20(完)” に対して2件のコメントがあります。

  1. 武田智孝 より:

    西欧を「汚なき国の、蝦夷ら」と呼び、その真似をして憲法を発布するとは何事か、と憤っておられるようですから、かなり過激な尊王攘夷派だったのですね。福澤の「脱亜入欧」とは逆の考え方をする人たちが明治20年代初めの頃にもまだかなりの数おられたらしいことを興味深く感じます。

    1. sokei より:

      武田智孝様
      貴重なコメントありがとうございます。
      この解釈は、筆者の思想的背景を注意深く調査する必要があると思われます。少なくとも尊王攘夷攘夷のような古い思想で片付けてしまう訳には行かないと思います。

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