伊勢参宮日記 その14

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
津田寧也、離別會席ニ行。一六居士を始め津田寧也の離別会に参加した。一六居士(巌谷一六)を始めとして
文人七、八名集會。午后九時前、児玉同行帰る。      詩文・書画などに親しむ人々が7、8人が集まった。午後9時前に、児玉(天雨)と一緒に帰った。
廿一日晴。寒風續為に、午前不出。午后、守田同行。21日晴れ。寒い風が吹き止まないために、午前は外出しなかった。午後になって守田に同行して
山岡を訪。談話数刻、帰る。林正弘、野田来、話。山岡(鉄舟)を訪ねた。長時間話し込んで帰った。林正弘と野田が来て話をした。
一酌の後、臥床。酒を交わした後に、床に入った。
廿二日晴。猶寒し。午前、高橋泥舟、高原淳次朗22日晴れ。この日も引き続き寒かった。午前中に、高橋泥舟と、高原淳次朗を(訪ねた)。
訪問。午后、児玉、志水を辞して、元田ニ抵り、夕訪問した。午後になって、児玉(源之丞)、志水と別れて、元田(東野)にばったり会って、夕方
六時過帰宿。6時過ぎに宿に帰った。
廿三日晴。午前、高崎知事、宮地、島田ニ行、不逢。      23日晴れ。午前中、高崎知事、宮地、島田に逢いに行ったが逢えなかった。

一行目の「津田寧也」は、これまで「津田」として登場したのは、1月6日訪問、10日来訪、16日来訪、の3回ありますが、同一人物かどうかは不明です。但し、この20日の離別会の後に筆者の帰路1月28日から2月2日迄「津田」が同行していますので、恐らく離別会の後で自由になった立場で旅行したのではないかと思われ、この点では同一人物であろうと推測できます。

「一六居士(巌谷一六)」は、「明治の三筆」の一人で、書家として有名だった様です。

4行目に、山岡鉄舟と長時間にわたって話をしたとありますが、今回の旅では、最後の面談になりました。山岡鉄舟はこの年の7月19日に皇居に向かって結跏趺坐(けっかふざ)したまま絶命したとあります。死因は胃癌だったようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です