伊勢参宮日記 その12

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
午后半晴。金子同道。日本橋邉り散歩。午後は半曇り。金子と一緒に日本橋辺りを散歩した。
帰宿一酌中、島田、池辺、遠坂、井々子、来訪。宿に帰り酒を飲んでいると、島田、池辺、遠坂、井々の子供が尋ねて来た。
閑談。十時過散春。気楽な雑談をした。十時過ぎに散会した。
十八日晴。午前、高崎知事を訪、面會。十分の事18日晴れ。午前中、高崎知事を訪ねて面談した。当方の事情を十分
情を吞込、依頼し天帰る。温和奈る人物可。喜理解してもらい、お願いをして帰った。温和な人物のようで、喜んで
帰春。勝安房を訪来、家尓て不逢。三度行て、帰った。勝安房(海舟)を訪ねたが、家にいながら逢って貰えなかった。三度も行ったのに
いつも不逢。歌を送る。いつも逢ってくれない。そこで、和歌を送った。
三度末て、問来し毛の越、つれもなく、何し可人の、よそに奈須らん。三度までも、尋ねて出掛けたというのに、冷淡にも、人間のするような態度とは思えない。
おも者な舞、可しこき人も、三度尓ハ、草の庵さへ、出尓し物乎。賢明な人は、簡素な住処にいる人でさえ、三度目にはきっと逢ってくれるだろうに。

ニ行目に「井々子」とありますが、これは竹添進一郎の子供という意味で、漢学者の竹添進一郎(名は漸、字は光鴻、号は井井)は、筆者の1年上の熊本藩校の時習館の居寮生で、筆者との交流が深かった様です。

当日記での勝安房(海舟)とのやりとりは、次のようです。

明治20年12月28日に伊勢から和歌三首を送る。翌年の1月8日に東京麹町から書簡を送り、返事として扇子に書かれた文書を貰う。上記の1月18日に、この勝安房(海舟)に三度も逢いに行ったが、逢って貰えなかったので、和歌三首を送った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です