伊勢参宮日記 その10

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
不在帰る。夕、天雨、浅井来。話、一酌、六時散春。  (山岡、勝を訪ねたが)不在だったので、そのまま帰った。夕方、天雨、浅井が来て、酒を酌み交わし話をした。6時に別れた。
十四日晴。金子を小山田尓遣須。午前、島田翁を訪。14日晴れ。金子を小山田のところに使いを出した。午前中に、島田翁(蕃根・仏教学者)を訪ねた。
天神画巻、大江山画巻を見る。大江山の巻尤天神絵巻と、大江山絵巻を見せてもらった。大江山の絵巻の方が優れ、
好所可愛。午后、田中教長を訪問。病気不逢。愛すべき良いところがあった。午後に、田中教会長を訪ねたが、病気のため逢えなかった。
帰路、山岡を訪。又、古荘嘉門を訪。帰路、吉田帰り道に山岡(鉄舟)を訪ねた。又、古荘嘉門(熊本藩士・内務官僚・政治家)も訪ねた。帰路、吉田
雲ハ書を学ふ人。六時過帰宿。(吉田)雲は書道を学ぶ人だ。6時過に宿に帰った。
十五日晴。午前高崎東京府知事、田中教頭を15日晴れ。午前中に高崎東京府知事と田中教会長を
訪。午后古荘来。元田翁ニ行。帰路、竹添を訪、訪ねた。午後になって、古荘が来た。元田翁のところに行った。その帰りに、竹添を訪ねた。
一酌。古荘来る。閑話、同行、散歩、帰宿。          酒を酌み交わしていたら古荘(嘉門)が来た。無駄話をしながら一緒に散歩してから宿に帰った。

5行目から6行目にかけて、「吉田雲は書道を学ぶ人」と、文章の流れに添わない文字がいきなり出てきますが、これは単純に備忘録として記述されたものと思われます。

8行目に竹添とありますが、これは竹添進一郎のことで、筆者の一歳年上の漢学者です。甲申政変時の朝鮮便利公使で、後に漢学者として活躍しました。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者。

伊勢参宮日記 その10” に対して2件のコメントがあります。

  1. 武田智孝 より:

    「画巻」につきまして「中国で制作された巻物の絵画作品」とありますが、調べてみますと以下のような記事が見つかりましたので、ご参考までに。
    「画巻」という「名称は江戸時代に一般化したもので,古代・中世においては〈……絵〉と称され,また今日では絵巻と同義語のように用いられている〈絵詞〉は本来,絵巻の詞書(ことばがき)を指すものであった。この巻物形式の絵画は中国から伝わり(中国では画巻と呼ぶ),日本で独自の発展をとげ,日本絵画史の代表的な領域を形成した。これらの画中には,当時の人々の生活や風俗,建築,調度などが描き出され,さまざまな分野での史料的価値の高いものが少なくない。」
    ですから「絵巻」でいいのではないかと思うのですが。

    1. 高見洋三 より:

      武田智孝様
      貴重な情報ありがとうございました。
      訂正させて頂きます。これは、北野天神縁起絵巻と大江山絵巻を指すのでしょうね。

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