伊勢参宮日記 その1

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5018-1
     廣川 明治二十年 伊勢参宮日記 (表紙)           廣川(高見怘) 明治20年(1887) 伊勢参宮日記 (表紙) 
明治二十年熊本太神宮教會長と奈る。明治20年(1887)に熊本大神宮の教會長となった。
社務の事により東京ニ行、帰路伊勢神社の事務の関係で、東京に行き、帰る途中で伊勢の
太神宮に参拝須。十二月三十日着、三十一日太神宮に参拝した。12月30日に伊勢に着き、31日の
三時、御祭典ニ参拝、衛士となる。庭火を多く。        3時に、大祓(おおはらい=宮司以下の神職・楽師を祓い清める儀式)の儀式に参参加して、警備・護衛の役として、かがり火を焚く役割をした。
いと可しこし。こ者同懸の人、木庭の周旋尓大変恐れ多いことだった。これは同じ熊本県人の木庭さんのとりもちに
よるもの奈李。よって実現した。
十二月廿六日晴。熊本出發、風いと寒し。五時過12月26日天気は晴れ。熊本を出発したが、風が大変冷たく感じた。5時過に
山鹿尓つく。直尓入浴、一泊。金子清次同行。熊本県山鹿市の宿に到着し、直ちに風呂に入り、一泊した。この時、金子清次が同行した。
廿七日晴。午前三時出車。田代尓て午飯。夕五時27日天気は晴れ。午前3時に人力車で出発。田代(佐賀県鳥栖市)で昼食をとり、夕方の5時

最終行に「出車」とありますが、これは当時の主要な交通手段であった人力車ではないかと思われます。現在の地図で山鹿・博多間の距離は83km、徒歩で19時間ということで、人力車が時速8~10kmとすれば、8時間~10時間で昼食時間を加えても、その日のうちに到着出来そうです。

この日記では、午前3時に出発し、午後5時半に博多に着いたとありますので、所要時間は14時間半かかっています。恐らく、人力車の車夫は何回か交代しているか、又は、人力車を乗り継いでいたのでしょう。

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