当家に関わる諸控 その27
くずし字解読
林 九八郎 清水但馬 兼松直部 | 林 九八郎(六百石) 清水但馬(四千石) 兼松直部(五百五十石) |
田中亀之助 松山権兵衛 有吉市郎兵衛 | 田中亀之助(六百石) 松山権兵衛(千石) 有吉市郎兵衛(二千八百石) |
大場義迪 須佐美七郎助 秋山喜兵衛 | 大場義迪(?) 須佐美七郎助(五百石) 秋山喜兵衛(百石) |
田邊栁助 | 田邊栁助(?) |
高田原邊 | 高田原(こうだばる=熊本市中央区下通・安政町・中央街・新市街) |
高橋宇左衛門 倉重五左衛門 深田左房 | 高橋宇左衛門(?) 倉重五左衛門(?) 深田左房(?) |
山崎邊塩屋町 | 熊本市中央区山崎町辺り、塩屋町(しおやまち) |
堀七郎兵衛 志方千左衛門 大西勘十郎 | 堀七郎兵衛(七百石) 志方千左衛門(三百石) 大西勘十郎(百石) |
田中甚助 中瀬助之進 片山喜三郎 | 田中甚助(五百石) 中瀬助之進(八百石) 片山喜三郎(?) |
志水新烝 竹原九左衛門 | 志水新烝(千石) 竹原九左衛門(四百五十石) |
桜井丁邊 | 熊本市中央区桜井町辺り |
伊藤角次 宮川傳八 三浦新右衛門 | 伊藤角次(廿石五人扶持) 宮川傳八(百石) 三浦新右衛門(二百五十石) |
原田宗眞 菅村理左衛門 宮原次郎兵衛 | 原田宗眞(御医師) 菅村理左衛門(百五十石) 宮原次郎兵衛(百五十石) |
小堀平右衛門 土山七郎兵衛 | 小堀平右衛門(百石) 土山七郎兵衛(五百石) |
在宅 | 在宅 |
<日向崎>中根次左衛門 <白濱>横山藤七 <大の村>上月兎毛 | <日向崎>中根次左衛門(千石) <白濱>横山藤七(千三百五十六石壱斗五升) <大の村>上月兎毛(かみずき・うのけ=千石) |
<もと村>長尾安右衛門 <はるたけ>松岡元衛 | <もと村>長尾安右衛門(四百石) <はるたけ>松岡元衛(?) |
一口メモ
先頭ページからは、前頁の「通り丁邊」の続きです。
最終行から二つ前に「在宅」とありますが、これは、藩から提供された武家屋敷に居住しておらず、自分の家に住んでいる人々という意味だと思われます。さすがに高禄の家柄が多いようです。
在宅の住所のうち、「日向崎」は、熊本市西区島崎2丁目13にバスの停留所があります。又、「白濱」には白濱公民館(熊本市西区河内町白浜)があります。又、「大の村」は、熊本県玉名郡に大野村がありました。「もと村」は、熊本県菊池市七城町林原-元村ではないかと思われます。「はるたけ」は、熊本県飽託郡(ほうたくぐん)にあった春竹村と思われます。
当時の、当家の知行地として、玉名郡、飽田郡、山本郡、山鹿郡、益城郡に8カ所がありましたが、これらの在宅の人物は、これらの地縁に関係していたかも知れません。