松の落葉 その39完
奥書 その3 原文
吾が父君の和歌を、短冊にかかれ志ときは、いつも松門とかゝれたりき、
これには於か志き話あれど、くだ/\志ければ、其のあらま志をかいつけむ。
いつの頃にやありけむ、呉竹の葉末より咲きくる、凉しき風の北の窓にかよふて、
手枕のうたゝね、いとこゝちよかり志時。
身は山川の水の、さら/\と音するかたに、あるきつゝ、一すぢの細道は、
苔綠りに、沙白く志て、どことなく、浮世のほかと思ひつゝ、はるかに、
あなたをながむれば、五株ほどの、松の林のうちに、柴の戸をかまへ志、
茅の庵ぞ見江たりける。
こはいかなる、山人のすみ家にやと、いそぎては志り志にまもなく、柴の戸に
つきて、於となふ聲の、まだ志づまらぬまに、白髪をいたゞき志翁は、ゑみを
ふくみつゝ、はやく來れよ、こゝは浮世のほかの仙家に志て、ながきたるを待つこと
久志と、案内さるゝまゝに、奥の室にはいれば、翁は、さま/\の事を話され志
うちに、こは松花餅といひて、仙家の菓子なれば、試みにたべてみよといはれ
志かば、よろこびてたべ志に、其味甘く志て、かんば志きこと、いはんかたなかりき。
其のうちに、軒に志だれ志松の梢にゐる、鶴のなく聲に驚きて、忽ちさめ志は、
凉志き枕の夢なれども、かんば志き薫りは、さめても、なほ口に殘り志にぞ、
こは、まことにくす志き夢なればと、それより松門と名のりて、歌の草稿は、
松の落葉と名け志よとは、これなむ吾がなき父君の、雨夜の燈の下にて、
なされ志昔志かたりなりける。
吾がなき父君は、いろ/\の役をつとめられ志うちにも、浮世の塵を、遁れまほ志と、
つね/\語りたまひ志が、よはひ六十あまり三に志て、明治十八年は、かの
圓位(えんい=西行の法名)のひ志りの。
願くは 花のもとにて われ死なむ
そのきさらきの もちつきのころ
と、うたはれ志ごとく、三月十八日の、午後一時、はる風かをる、花のもとにて、
夢の中なる、松かげの茅の庵にと、仙遊をな志たまひぬ。
於もへば、昨日けふかと、すぐせ志に、はや二十五年前のむか志となり志も、
吾々のはらから三人は、いま、なほ、知らぬ旅路に、さまよひつゝ、なにの
いさを志も、たてざり志かば、草葉の蔭より、みたまひ志吾がなき父君は、
さぞやさぞ腑がいなきものどもよと、うらみたまひ志ならむ。
このことを、花のあ志たに於もひ、月のゆふべに於もひ、また、筑紫の故郷の
空をながめ、かさねて、香花院の於くつぎのほとりには、幾とせの雨露に、
綠の苔の、むせ志ならむと於もへば、たゞ此のまゝに志て、やむべきか。
されば、せめてはの思ひでに、吾がなき父君の形見なり志松の落葉を出版志て、
吾々の子孫らに、吾がなき父君の和歌は、これぞよと、いふべき記念をとゞめ於かば、
吾がなき父君の御たまもいかにうれ志く思ひたまふならむと、かき行く筆を
さ志於くにも、いかで、昔ゆか志の涙の、いでざらめやは。
如月のなかの八日、さ夜の嵐にちらされ志、さくらの花の、一ひら二ひら、
ふみ讀むとも志の、あたりに、飛びかふを、ながめつゝ、兒の秋水、
か志こみて、再び記す。
完
奥書 その3 現代語訳
吾が父君の和歌を、短冊に書いた時は、いつも松門と書かれました。
これについては、おかしな話がありますが、長すぎたり細かすぎたりするので、そのあらましを書き付けます。
いつの頃であったろうか、呉竹の葉末から吹いてくる、凉しい風の北の窓に通って、
手枕のうたた寝が、大変心地よいと思える時。
体は山川の水の、さらさらと音のする方に、歩きながら、一筋の細道は、
苔がむして綠に、砂は白く、どことなく、浮世離れしているとと思ひつつ、はるかに、
遠くを眺めれば、五株ほどの、松の林の中に、柴の戸をかまえた、
茅の庵が見えました。
これはどのような、山人の住処であろうかと、急いで走っていったが、まもなく、柴の戸に
着いて、大人びる声の、まだ静まらぬ間に、白髪の翁は、笑みを
含みながら、早くおいで、ここは浮世のほかの仙人の家で、あなたが来るのを待ちわびていた
と、案内されるままに、奥の室に入れば、翁は、様々な事を話され、
そのうちに、これは松花餅と言って、ここで作った菓子なので、試しに食べてみてと言われ
たので、喜んで食べると、その味は甘くて、なんと香ばしいこと、言う言葉もなかった。
そのうちに、軒に長くたれ下がっている松の梢に止まっている、鶴の鳴く声に驚いて、忽ち夢から覚めたのは、
凉しい枕の夢だったけれど、香ばしい薫りは、夢からさめても、未だ口に残っていたので、
これは、本当にふしぎな夢であったと、それ以後は松門と名乗って、歌の草稿は、
松の落葉と名付けなさいと、これは吾が亡き父君の、雨の夜の燈の下で、
語られた昔話でした。
吾が亡き父君は、色々の役職を勤められていた中にあっても、浮世の塵から、のがれて欲しいと、
常々語っていたが、年齢も六十三で、明治十八年は、あの
圓位(えんい=西行の法名)の聖の。
願くは 花のもとにて われ死なむ
そのきさらきの もちつきのころ
と、詠われたように、三月十八日の、午後一時、春風が香る、花の許で、
夢の中にある、松影の茅の庵に、仙遊(俗を離れて悠々と遊ぶこと)をされました。
思えば、昨日今日かと、過ごしましたが、最早二十五年前の昔となったのも、
吾々の兄弟三人は、今猶、知らない旅路に、さまよいながら、何の
功績も、上げなかったので、草葉の陰から、見られた吾が亡き父君は、
さぞやさぞ、ふがいない者どもよと、恨んでおられる事だろう。
このことを、花の朝に思い、月の夕べに思い、また、筑紫の故郷の
空をながめ、重ねて、香花院の奥次のほとりには、何年もの雨露に、
緑の苔が、むせるだろうと思えば、ただこのままにして、おくべきだろうか。
そうすれば、せめての思い出に、吾が亡き父君の形見である松の落葉を出版して、
吾々の子孫らに、吾が亡き父君の和歌は、これだと、言うべき記念としてとどめ置けば、
吾が亡き父君の御霊もどんなに嬉しく思われるだろうと、書き行く筆を
置くにも、どうして、昔のゆかしさが、出ないだろうか。
如月の中の八日、小夜の嵐に散らされた、桜の花の、一ひら二ひら、
文を読む者達の、あたりに、飛び交うのを、眺めながら、子供の秋水が、
か畏んで(おそれ多くも)、再度記します。
完
一口メモ
「松の落葉」の長らくの閲覧、ありがとうございました。次回からは、本来の古文書解読のテーマにそって「当家に関わる諸控」を28回にわたって掲載致します。
拝見いたしました。
自分の勘違いかも知れません。
21行目、
語りたもひ志が、→語りた▼まひ志が、
終りから6行目(完も含む)、
思ひたまふならむと、→思ひたまふなら▼めと、
以上です。
如何でしょうか。
サトウケイコ様
コメントありがとうございました。
21行目 ご指摘の通りでした。またまた、当方の入力ミスでした。
終わりから6行目の原文は「ならむと、」でした。
いつも、お気にかけられて、感謝申し上げます。今後共宜しく御指導のほど、お願い申し上げます。
追加です。
終りから4行目、
「ニひら」のところ、
「ニ」が、カタカナの、「ニ」になっております。
(現代語訳のところも)
折角ですので、漢数字の「ニ」に
直されてはいかがでしょうか。
自分の文章では、「ニ」の、カタカナ表記が、
出来ません。
どうぞ、悪しからず、思し召しくださいませ。
送信の文章では、「ニ」が、すべて
カタカナ表記になってしまいました。?
サトウケイコ様
ありがとうございました。訂正しておきました。
高見様、コメントありがとうございます。