先祖附(天保11年12月23日) その25

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

一 同四年正月二十日、當春、出府被 仰付、財津善内、与一 文政四年(1821)一月二十日、この春に出府を命じられ、財津善内と
  交代、被 仰付、同年三月九日、此許被差立、同四月朔日  交代するよう命じられ、同年三月九日に熊本を出発、四月一日に
  江戸龍ノ口、御屋敷江着仕、當前之御奉公、相勤申候。  江戸藩邸の龍ノ口上屋敷に到着、決められたご奉公を勤めました。
一  同年十二月十一日 篤姫様御縁組、御用懸、<被>一  同年十二月十一日 篤姫様の縁組に関わるご用を
  仰付、同五年正月十一日 篤姫様御縁組、御用懸  命じられ、文政五年(1822)一月十一日に篤姫様の縁組のご用係を
  相勤候ニ付、御紋附御上下、同御小袖、被下置候。  勤めたので、御紋附の裃と小袖を戴きました。
一 同年閏正月十九日、當年 御帰國之御供、<被>一 文政五年の閏一月十九日に、今年帰國されるお殿様(九代細川斉樹公)のお供を
  仰付、同四月二十四日、被遊 御発駕、御供ニ而、罷立  命じられ、同四月二十四日、出発されたお殿様のお供として、随行し
  御道中筋、御用人之諸勤、相勤、同年五月二十八日、御國許  道中筋の用人としての勤めを果たし、同年の五月二十八日に熊本に
  被遊 御着座、御供ニ而着仕、當前之御奉公、相勤申候。  ご到着されたお殿様のお供として、当たり前のご奉公を勤めました。

一口メモ

眞藤國雄氏の「肥後細川藩・拾遺:新・肥後細川藩侍帳」によると、財津善内は下記のような記載があります。

    6、善内      (1)御小姓役 二百石  (2)御用人 七百石内五百石御足高
                  細川治年公御書出(天明六年)二百石
                       細川斎茲公御書出(天明八年)二百石
                       細川斎樹公御書出(文化九年)二百石
                       細川斎護公御書出(文政九年)二百石
                       財津善内加増知所付目録(文政十二年)

同氏は、御用人として一代で二百石から七百石に加増されたほどの優秀な人材であったようで、ここにも細川藩の積極的な人材起用が見られます。

「篤姫様」は九代藩主の細川斉樹公の次女で、文化8年(1811)出生、文政7年(1824)に13歳の若さで、お亡くなりになりました。

文政5年の斉樹公の熊本への帰国、いわゆる就封は件の右山幸介氏の資料によると、上記同様4月24日発の5月28日着で、旅程は34日を要しました。

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