先祖附(天保11年12月23日) その24

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  於 御前被下置候お殿様(熊本藩九代の細川斉樹公)から直接頂きました。
一 文政三年三月朔日、数年、出精相勤候ニ付、座席一 文政三年(1820)三月一日、数年にわたり精を出し良く働いたので、席順が
  中着(座)同列、被 仰付旨、御達御座候。  中着座と同列に配するとの旨の、お達しがありました。
一 今度日光 御社参、直 御帰國之御供、<被>一 今度、日光の御社参り後、直ちに 帰國のお供を
  仰付同年四月二十五日江戸被遊 御発駕<被為濟>  命じられ、同年四月二十五日に江戸を出発なされ、
  御社参同年五月四日龍ノ口御屋敷江<被遊>  お社参りを済ませてから、同年五月四日に龍ノ口の上屋敷へ
  御立寄同日直龍ノ口御屋敷 御発駕同年  お立ち寄りの上、同日直ちに龍ノ口の上屋敷を出発なされ、同年
  六月十七日御國許江被遊 御着座御道中筋  六月十七日に、熊本にお着きになり、道中筋での
  御用人之諸勤相勤同日御供ニ而着仕當前之御奉公  用人としての仕事を勤め、同じ日に到着し、当たり前のご奉公を
  相勤申候。  勤めました。

一口メモ

上記原文の3行目に「中着同列」とありますが、これは「中着座同列」の誤りです。「中着座」とは細川藩士の階級の一つです。

知行取は、上から公卿の立場の「上卿」「下卿」、家老の立場の「上大夫」「中大夫」「下大夫」、この後は「上士」「平士」「下士」と続きます。

「中着座」は、「中大夫」の位に属します。「同列」は、「同じ扱い」と解釈できます。

参勤交代についての研究は、「熊本史學」第五九号(昭和58年6月)に、右山幸介氏の論文「細川氏の参勤、就封について」に詳しい記述がありますが、これによりますと、細川斉樹公が文政3年4月25日に江戸発、6月17日に熊本着、所要日数52日とあります。

所要日数が他の就封日数と比較すると10日ほど長く、この理由が、日光へのお社参りを含めた就封の期間としてしまったことで理解できます。

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