先祖附(天保11年12月23日) その23

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  被 仰渡候。                      お言い付けになられた。
一 同二年九月朔日、今度日光一 文政二年(1819)九月一日、このたび日光
  御霊屋向、并諸堂社、御修復御用、被為承  御霊屋(おたまや=霊廟)及び、本堂・経堂・山門・社寺などの修復のご用を、(お殿様が)引き受けるようにと
  仰候ニ付右御用懸被 仰付旨御達有之候  仰せられたので、この仕事を命じられる旨の通達がありました。
一 同年十二月二十八日一 同文政二年十二月二十八日
  公義、於 御城、今度日光、御手傳御用、相勤候ニ付  江戸城の公的な行事として、今回の日光のお手伝いのご用を勤めたので、
  御時服三 御羽織一 白銀弐拾枚、被下置旨、御用番  将軍から賜った冬の衣服を三つ、羽織を一つ、贈答用の銀を20枚を下さるということを、当時の用番である
  土井大炊頭様、於檜木御間、被 仰渡候  老中の土井利厚様が、江戸城桧の間で仰せ渡されました。
一 同年同月二十九日、今度日光御手傳、御用懸出精一 翌日の二十九日には、この度の日光お手伝いの仕事を精を出して
  相勤候ニ付、御紋附御上下、同御小袖、同縮緬御袷羽織  努めたので、紋付きの裃、小袖、縮緬袷羽織を

一口メモ

日光東照宮は徳川家康公の遺命に基づき、元和二年(1616)に、二代将軍の秀忠公によって,日光東照社の造営工事が始まり、その後修復工事は何度も行われていますが、大規模なものとしては1634~36年の寛永の大造替、1749~53年の宝暦の修理、1796~98年の寛政の修理が挙げられます。

上記文政二年の修復工事は、さほど大がかりなものではなかったようです。

さて、この度の修復作業に対する謝礼の内、白銀弐拾枚とありますが、これは当時恩賞用として用いられた包銀と思われます。銀1枚が43匁ですので、計860匁で、金に換算すると、一両は60匁ですので、860÷60=14.3両に相当します。現在の価値に換算すると、186万円程度のようです。

この恩賞は、当然細川藩に帰属しますが、どの程度の人員が動員されたか不明ですので、その成果をどのように評価すべきものかは判りません。ただ、翌日にお殿様から、直接紋付の裃と袷を拝領していますので、それなりに評価されたものと思われます。

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