先祖附(天保11年12月23日) その19
くずし字解読
病死仕候 | 病死しました。 |
一 私養父、高見権右衛門儀、文化二年十一月四日、祖父右源太 | 一 私の養父である高見権右衛門(当家八代)は、文化二年(1805)十一月四日に、祖父の右源太(七代) |
江被下置候、御知行家屋敷、無相違、権右衛門江被下、大組附 | から相続された知行と家屋敷を、間違いなく権右衛門(九代)に下さり、大組附 |
被 仰付、沢村宇右衛門組ニ、被 召加候。 | を命じられ、沢村宇右衛門組に編入されました。 |
一 同四年、阿蘇於上宮 | 一 同四年(1807)阿蘇神社の上宮に於いて |
公義定例、御祈祷之節 | 公に対して果たすべき定例の祈祷が行われた時、 |
御名代被 仰付相勤申候 | 代理を命じられ、勤めました。 |
一 同六年四月九日、御使番被 仰付、御役料米並之 | 一 同六年(1809)四月九日使番を命じられ、手当は知行並みの |
通、被下置旨御用番被 仰渡即日ゟ御使番之 | 通り頂けると、その月の担当者が伝えられ、その日のうちから使番の |
諸勤績、相勤申候。 | 諸々の仕事を勤め上げました。 |
一口メモ
候文の難しさは、主体(主語)と客体(その対象)が判りにくいところにあるようです。ニ行目の「私養父、高見権右衛門儀、文化二年十一月四日、祖父右源太江被下置候、御知行家屋敷、無相違、権右衛門江被下」は、主体となりそうな文字は、「私」「養父」「高見権右衛門」「祖父」「右源太」「権右衛門」ですが、まず「私」に注目しますと、先祖附では、往々にして著者の立場を尊重した結果、主体が変わることがありますが、この先祖附では一貫して「私先祖・・・」が5回繰り返され、「私高祖父」「私曾祖父」「私養父」と続き、「私」は当家九代であることが判ります。「私」が特定できると、養父の権右衛門は、八代の「右源太」で、祖父は七代の権之助であることが判ります。従って、この先祖附は九代の武久が記述したことが窺われます。又、日付の「文化二年十一月四日」についても強調したいがために,文章の流れとは別に早めに記述されたのではないかと思われます。