先祖附(天保11年12月23日) その16

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  同十一年四月二十八日、助勤被遊 御免、五月三日江戸表  寛政十一年(1799)四月二十八日、補佐役を解かれ、五月三日に江戸の仕事場を
  被差立、六月五日御國許江着仕、即日ゟ御使番之  出発し、六月五日に熊本に到着し、その日の内に使番の
  諸勤相勤、居申候處、同九月十五日、又々、御留守居<助>  諸々の仕事をこなしていたところ、九月十五日に、又々、留守居の
  勤被 仰付、早々出府被 仰付旨ニ而、同十九日<被>  補佐役を命じられ、早々に江戸に行くよう命じられたので、九月十九日
  差立、十月十二日、江戸着仕、即日ゟ増上寺<火之>  に出発、十月十二日に江戸に到着、その日のうちから増上寺の
  御番、御請持ニ付、御方角、出火之節、御本坊<御人>  火の番の要請を引き受け、その方角に出火があれば、寺院の僧坊へ
  数御届、並 御出馬御供ニ茂、罷出申候。其外  参加人数の届けと、その出馬のお供にも参加しました。その外
  御留守居之諸勤、相勤居申候處、同十二年八月二十八日  留守居役の諸々の勤めを、こなしていたところ、寛政十二(1800)年八月二十八日
  助勤被遊 御免、九月五日、江戸表被差立、十月  その補佐役を解かれ、九月五日、江戸の仕事場を出発、十月
  九日、御國許江、着仕、御使番之諸勤、相勤居申候処  九日、熊本に到着、使番の諸々の仕事を勤めていましたが、

一口メモ

江戸での諸藩の留守居役の仕事は、藩主が不在の折りに江戸藩邸の警備責任者としての留守居と、連絡折衝役としての御城使とがあります。助勤としての補佐役は、これらの仕事を実際にこなすことになります。当家八代が上記のとおり留守居助勤を勤め上げ、九代が留守居番頭から留守居大頭同列に上り詰め、当家と江戸との結びつきが、いよいよ盛んになりました。

文中の「火之御番」とは、目付もしくは留守居の支配に属し、江戸城内、又は幕府所管の浅草御蔵、本所御蔵をはじめ、湯島聖堂、東叡山(寛永寺)、増上寺、紅葉山その他大手方・桜田方などの火災の警戒をつかさどったものを指します。

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