先祖附(天保11年12月23日) その13

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  同二月十九日、隠居被 仰付候。  天明七年(1787)二月十九日に、隠居を命じられました。
一 私祖父、高見右源太儀、天明七年二月十九日、<曾祖>一 私の祖父である高見右源太(当家八代)は、天明七年(1787)二月十九日
  父、高見権之助、願之通、隠居被 仰付、御知行<家屋>  父である高見権之助(当家七代)の願いの通り、隠居を命じられ、知行
  敷、無相違、右源太江被下置、御番方被 仰付、直ニ  及び家屋敷敷は、間違いなく右源太へ下され、番方を命じられ、直ちに
  横山五郎大夫組二、被 召加候  横山五郎大夫の組に、召し加えられました。
一 天明八年十二月、翌春江戸為見習、出府被 仰付一 天明八年(1788)十二月、来年の春に江戸へ見習いのために、江戸に行くよう命じられ、
  <置>、寛政元年三月十一日、御國許被差立、同四月十五日、  寛政元年(1789)三月十一日、熊本を出発、四月十五日に
  江戸表江着仕候。同十六日より龍ノ口御屋敷、御廣間御  江戸に到着しました。翌日の十六日から龍ノ口の上屋敷廣間の
  番、御供、御使者并、御屋敷内外火廻三丁早出、  交代勤務、お供や使者並びに屋敷内外三町の火の番を早朝に出勤したり、
  御門詰、辻固、御寺詰、御雇御供、無懈怠相勤  門番、要人のための道筋の警固、お寺での待機、雇用した人の世話など、おこたりなく

一口メモ

文中後半に、当家八代の初めての江戸詰めの仕事が勤番、つまり、単身赴任で1・2年の短期間にお役を務めることになりましたが、この八代になって益々江戸との関わりが強くなってきます。それまでは、三代の児小姓と使番、四代の江戸留守居詰の他は、お殿様の参勤のお供が中心でした。六代は江戸詰の経験はありませんが、七代に入って勤番としての江戸詰が再開されます。

当家八代については江戸詰の定府、つまり江戸屋敷に常駐して執務や仕事をする役職を受け持ちますが、留守居役等以後詳しい記述がありますので、ここでは割愛します。

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