先祖附(天保11年12月23日) その9

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1002

くずし字解読

  如願、被 御免、御留守居着座、被 仰付、元  願いのとおり、役職が解かれ、留守居着座を命じられ、<元>
  文三年五月、阿蘇於下宮  元文三年(1738)五月、阿蘇の下宮に於いて
  公義定例之、御祈祷 御名代、被 仰付相勤申候  公に対して果たすべき定例の祈祷の代理を命じられ、勤めた
  處、延享四年、八代御番頭、被 仰付、相勤居申候  ところ、延享四年(1747)、八代の番頭を命じられ、勤めていた
  処、寶歴二年二月、御用人、被 仰付、同年六月  ところ、寶歴二年(1752)二月、用人を命じられ、その年の六月
  新組頭、被 仰付、同三年二月、江戸定元ニ而之  新組頭を命じられ、同三年(1753)二月、江戸藩邸での
  大御目附、被 仰付、同年御参勤之御供ニ而、罷  大目附を命じられ、同じ年の参勤交代のお供で
  登、相勤居申候處、御留守御人少ニ而、翌年  江戸に行き、勤めていたところ、留守役の人数が少なく、翌年の
  御参勤迄、相詰可申旨、被 仰付、白金、御屋敷江  参勤交代迄、そのまま続けるよう命じられ、白金の中屋敷に
  御留守中、相詰居申候處ニ、御参府之迄、又々  お殿様が留守の間も、続けて勤務していたところに、お殿様が江戸に来られるまで、又々

一口メモ

当家の三代、四代、五代は共通点が多いので、職歴を中心に比較検討してみることにします。まず、相続後の在職期間を見ますと、三代は33年、四代は31年、五代は37年と比較的長期で、二代の38年は9歳で相続していますので別格ですが、これを除くと全代を通じて、五代が最も長期となります。

最初の役職を見ますと、四代は相続後5年で使番を勤めたのに対して、五代、六代は相続後直ちに大組附を,命じられています。使番も大組附も同じ「上士」の位置づけです。三代は相続12年後に八代城の番頭を命じられ、17年間勤め上げ隠居していますが、これに対し四代は、番頭や江戸留守居などを経て、相続後17年で八代城の番頭に就任しています(在任期間=14年)。

また、五代は相続後27年で八代城の番頭になりましたが、在任期間は5年と短期で、その後は用人、新組頭、江戸での大目付を勤めた後に本国での大目附を命じられましたが、残念な事に、病気に罹り辞退しています。尚、細川藩士の役職については、こちらを参考にして下さい。

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