高見君権右衛門墓碣銘 その7
書き下し文と解釈
展(のべ)て、斯(これ)に闡(ひら)く。爵位、日に儕(そろ)つて鞠躬(きっきゅう)蹇々(けんけん)。死して後に休む。唯(た)だ君之れ践(ふ)む。 | 展開して、これを広める。爵号と位階が、日が経つにつれて、一生懸命気をつかい尽力して忠義を尽くすように仕向ける。死んで初めて休息できる。君は、ただこれを実践するのみだ。 |
魄(たましい)は、清廟(せいびょう)を護し、魄は異郷に蔵す。蒸たる孝子(こうし)有り。寵光を昭にことを思ふ。石劉(つらね)ること、磽确(こうかく)、 | 慰霊は祖先を祀る建造物を守り、慰霊は故郷を離れて祀られる。成熟した後継者が居る。慈しんだ光を明るく照らし、はっきりと君のことを思ふ。石が連なり、玉石が敷き詰められた地に、 |
此の銘章を勤す。 | この銘文を後学のために提供する。 |
肥後藩江戸片山介撰 | 江戸詰めの肥後藩士、片山介が、この文章を作成した。 |
天保十五年辰十二月出来 | 天保十五年辰(1844)12月に完成。注)この年号は裏表紙に書かれたものを貼り付けています。天保15年は12月1日で終わっています。 |
一口メモ
漢文は、高校時代に、教科として受講はしましたが、以前このブログで紹介した通り、全く勉強しませんでした。八十路を迎えんとするこの年で、 初歩からの挑戦でした。
漢文の読み方について、わずかに知っていることは、「レ点」や「返り点」程度でしたが、幸いなことに、ネットで種々解説されていることに気が付き、大いに助かりました。中でも「置き字」の存在と、「送り仮名」の内容は、新鮮なものでした。特に、「送り仮名」には、片仮名の「合字」や記号らしきものの存在がすこしずつ理解できるようになりました。一番難しく感じたのは、漢字の旧字体の存在でした。辞書を引くにも、困難を極めました。
このような状況ですので、あちこち間違いがあると思われますので、お含み置き下さい。
参考までに、ここに登場した主な「置き字」と「合字」には次のようなものがありました。
「置き字」
一番左の「兮」は使われていません。
「合字」
左から、「コト」「シテ」「トキ」「トモ」と詠みます。この合字を知ってから,理解力は格段に進みました。
尚、上記の合字画像はこちらのサイトから、ダウンロードと変換をさせて頂きました。