高見君権右衛門墓碣銘 その6

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3020

書き下し文と解釈

これを一世に視るに、君に及ぶ者、其れ能(よ)く幾く人也ぞや。君既に没して、 先公これを諦了公の生涯で、君に匹敵するような人物は、何人いるだろうか。君は既に亡くなって、 先の公
の名臣と、宝暦陶冶の人才與、亦皆な在者無し。豈に(あに)其れ<可>の名だたる家来と、宝暦時代の育成で人材が育ち、今や皆、亡くなってしまった。どうして、それを
後に顕揚(けんよう)して伝へず可んや、然れども君生るる已に晩(しばら)く、<不及先公親>後の世に広め高め伝えずにできようか。必ず伝わる。しかしながら、君が生れてからしばらく、
親政の日に及ばざる。其の所、憂勤、綢繆(ちゅうびゅう)する甚だ多くして、尽(ことごと)く著(あらわれ)ず、亦<有所>藩主が、みずから政治を行う状況ではなかった。その頃、勤めに不安をいだいて、頭から離れないことが極めて多く、全く目立たなかった。また、
著(あらわ)ることを得ざる所有り也。謹て其概を拡て、之が銘を作る。銘に曰。目立ちたがることは、しなかった。つつしんで、細かく気を配って、その風格を広げる。石に刻みつけた文章の言うことには
惟(こ)れ高氏の先き、爰(ここ)に都城(とじょう)を有つ。晦顕(かいけん)時有り。久して自ら栄ふ乃(だい)若人の如を生してこれは高見氏の継続の中で、ここに城郭に囲まれた都が城が出来上がった。世を逃れて跡をくらましたり、世に出て栄える時もある。時間を経て、自ら栄える。君は、若人のように生き生きとして、
時明(ときあかり)に遭際(そうさい)す。学書に由らず、克く先典に合ふ事至らず、煩(はん)に克く、敬にして簡。黎明期に、思いがけず巡りあった。学問の書物に頼らないで、頑張ってもこれまでの手本や規範に合致する事は無く、煩わしさに打ち勝つ。尊敬に値して、簡潔なことだ。
公の曰く云云、君の曰く既に弁ず。隼の撃つが如く、丸の転ずるが如し。計て斯(これ)に達し、殿様の言うことには,あれこれ。君の言うことには、既に述べたとおり。はやぶさが攻撃するように、丸いものが転がるようだ。企てて、これに到達し、

一口メモ

この頁は、極めて難解で解釈に自信がありません。おかしなところがあれば、是非ご指摘戴きたいところです。

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