在勤拝領之品付(九代武久) その14
くずし字解読
同年同月四日(再掲) 一 御紋附縮御帷 一 | 天保8年(1837)7月4日(再掲) 一 紋付きの縮(ちぢみ=縮織り)の帷子、を一つ。 |
同年七月四日 | 天保8年(1837)7月4日 嫡子様の届けについては、初めから心配りをしたので、若殿様(細川慶前公)から戴けるという旨を詰の間において、清成八十朗から申し渡された。 |
一 御紋附御上下 一具 | 一 九曜の紋附の裃、を一揃い。 |
一 同晒御帷子 一 | 一 同じく九曜の紋付きの晒(さらし)の帷子(かたびら)、を一つ。 |
一 薄御袴 一具 | 一 薄い袴、を一揃い。 |
<護(慶)前公> 一 御筆 一枚 | <これらの四点は慶前公から頂戴した> 一 若殿様の筆(ひつ=筆で書いたもの)、を一枚 |
天保八年八月朔日 | 天保8年(1837)8月1日 若殿様の縁組ご用掛を勤めたので戴ける、という旨を龍ノ口上屋敷において、御殿様から九郎左衛門殿へ申し渡された。 |
一 御紋附御上下 一具 | 一 九曜の紋付きの裃、を一揃い。 |
一 同御帷子 一 | 一 同じく九曜の紋付きの帷子、を一つ。 |
同年十二月朔日 | 天保8年(1837)12月1日 兼々仕事に励んだので、蓮性院様の御前で戴いた。 |
一 嶋(縞)縮緬御小袖 一 | 一 縞縮緬の小袖、を一つ。 |
一 御煙草入 一 | 一 たばこ入れ、を一つ。 |
一 焼物脇徳利 一 | 一 焼物の脇徳利(?)、を一つ。 |
一 紙入表切レ 一 | 一 表切レ(?)の紙入れ、を一つ。 |
同年十二月廿五日 | 天保8年(1837)12月25日 若殿様の御前で戴いた。 |
一 嶋(縞)縮緬 一反 | 一 縞の縮緬、を一反。 |
一 御扇子 二本 | 一 扇子、を二本。 |
一 御盃 一 | 一 盃、を一つ。 |
天保八年十二月朔日(廿五日) | 天保8年(1837)12月25日 今年は格別多忙で、不用の折にも抜け出さず勤めたので、龍ノ口上屋敷の次の間で内々に戴いた。 |
一 五三桐御紋附横麻御上下 一具 | 一 五三桐の紋付きで横麻の裃、を一揃い。 |
一 葉桜御紋附縮緬御小袖 一 | 一 葉桜の紋付きで縮緬の小袖、を一つ。 |
一 八丈嶋(縞) 一反 | 一 八丈縞、を一反。 |
天保九年正月十三日 | 天保9年(1838)1月13日 明後日に熊本へ出発するので、若殿様の御前で戴いた。 |
一 御紋附羽二重御小袖 一 | 一 紋付きで羽二重の小袖、を一つ。 |
一 柴紋縮緬 一反 | 一 柴紋の縮緬、を一反。 |
一 彝の(井)御置物 一 | 一 彝(い=祭祀用の青銅器)の置物、を一つ。 |
一 御袂落并御薬 | 一 袂落と薬 |
一 銀御かんざし并はこせこ其外御品々 二本 | 一 銀のかんざし2本、はこせこ(筥世古=女性が懐中に入れた紙入れの一種)、そのほかに色々、を二本。 (これは蓮性院様から戴いたもの)。 |
一口メモ
この頁は、誤記と思われる箇所が目立っています。筆者はどなたか判りませんが、最終頁には「右高見権右衛門武久拝領之品付」と付記されていますが、ここから判断すると、当家九代本人ではなさそうです。正誤の判断は、系図が掲載されている「高見家の系図」との比較に基づきます。
まず、6行目の「護前公」とありますが、これは明らかに「慶前公」が正しく、当時は嫡子様の届けの直後でしたので真新しく、父君の熊本藩十代の「斉護公」の連想からと思われます。
次に、19行目の「天保八年十二月朔日」とありますが、これは「天保八年十二月廿五日」が正しいように思われます。これまでの記述では時系列が原則のようでした。
又、最終行の「一 銀御かんざし并はこせこ其外御品々 二本」は、蓮性院様から戴いたもので、本来は拝領した相手ごとに日付毎に表記すべきところですが、拝領した日付が前項と同じ日であったため、うっかりしたものと思われます。