上々様方より拝領の御品附(嶋之助) その2

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #3011
(諦了院様 雅之進様ゟ追々頂戴)
一 御盃数々被下置候
(諦了院様 雅之進様より、追い追い頂戴しました)
一 盃を数々下された。
一 御細工物数々被下置候一 細工物を数々下された。
諦了院様、雅之進樣ゟ拝領諦了院様、雅之進樣より拝領しました。
一 御三徳  二ツ一 三徳 (江戸時代に流行した紙入れの一種。更紗(さらさ)・緞子(どんす)などで作り、鼻紙を入れる口の反対側にも口を付け、楊枝・書付けなどを入れるようにしたもの)、を二つ。
一 御煙草入数々拝領一 煙草入れを多数拝領。
一 御袂落し数々拝領一 袂落し(タバコ入れや汗ふきなどを挟む小さい袋。ひもの両端に一つずつ結びつけ、ふところを通して左右のたもとに落としておくもの)を多数拝領。
一 御猪口<藝陽八景之内大元之椹>  一ツ一 お猪口<安芸国八景のうち大本(広島県山県郡北広島町)の椹(さわら)の絵のz>、を一つ。
雅之進樣ゟ雅之進樣より頂戴。
一 御手遊之御品数々拝領一 手遊のおもちゃを多数拝領。
勇姫様ゟ拝領勇姫様(越前福井藩主松平慶永(春嶽)の室)より頂戴。
一 御手遊御人形  二ツ一 手遊びの人形、を二つ。
栄昌院樣ゟ拝領栄昌院樣(細川立之室・老中土井利厚女)より頂戴。
一 御帯地  二筋一 帯地を二筋。
一 御扇子  数本一 扇子を数本。
一 御盃  数々一 盃を数々。
天保七年五月廿三日天保7年(1836)5月23日 出勤中精を出したので頂戴した。諦了院様がお亡くなりになり、その遺骸を熊本までお届けした。
一 唐桑御花臺  一箱一 唐桑(とうぐわ=クワ科の落葉高木。中国および朝鮮の原産で、日本でも古くから広く栽培されている)の花台、を一箱。
一 小倉上野焼御花入  一箱一 小倉上野焼の花入、を一箱。
一 青漆大平  一箱一 青漆(あおうるし=青緑色のうるし)の大平(おおひら=平たく大きな、蓋つきの椀。)、を一箱。
一 白嶋石御硯  一箱一 白縞石(白い石紋が入っている)硯、を一箱。
一 六角猪口  <拾人前>一箱一 六角形のおちょこ10人前、を一箱。
一 御腰下御煙草入御煙管共  一一 腰に下げる煙草入とキセル、を一つ。
一 御仕舞扇<但 前ニ記有之候数之内>  二本一 舞扇<但し、前記にある数に含まれる>、を二本。
一 唐銅象御香爐  一箱一 唐銅(からかね= 銅、錫を主体とし、鉛、鉄、ニッケルなどを加えた合金)の象模様の香爐、を一箱。
右者御側御道具之内被下置候以上は、身の回りの道具の内、戴いた物です。

一口メモ

上記の拝領物が、何時拝領されたかは時系列に記載されていないため、定かではありません。特に、雅之進様と勇姫様は、いずれも熊本藩第十代藩主の細川斉護公の子供ですが、兄と妹の関係にあり、年の差は9才でした。お二人からおもちゃや、お人形を下された年月は定かではありませんが、幼少の頃と推察できます。

戴いた、このおもちゃや、お人形はどうなったか興味深いところですが、常識的に考えれば当家十代の子供達へ渡されたものと思われます。ちなみに十代の子供は、三女六男でしたが、そのうち三女と、長男、三男、五男、六男はいずれも早世で、当家十一代を継いだ次男熊の助も病弱なため、弟の四男直熊を養子にして、わずか1年で十二代を継がせています。当家十代の長女は文政7年の誕生ですので、雅之進様より1年ほど年上の関係です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です