在勤拝領之品付(九代武久) その2
くずし字解読
一 御時服 三 | 一 時服(将軍から賜った服、ここでは綿入の小袖)を三つ。 |
一 綿入御羽織 一 | 一 綿入の羽織(はおり)を一つ。 |
一 白銀 弐拾枚 | 一 白銀(白紙に包み贈答用に用いた楕円形の銀貨。通用銀の三分)20枚。 |
右者 公義(儀)於 御城被下置候 | 右の品々は江戸幕府のお城で下されました。 |
文政二年十二月廿九日 | 1819年2月29日 日光改装の手伝いに対して、殿様より龍ノ口上屋敷にて拝領。(35才) |
一 御紋附御上下 一具 | 一 紋附の裃 一揃い。 |
一 同羽二重御小袖 一 | 一 紋附の羽二重の小袖(こそで)を一つ。 |
一 同縮緬袷御羽織 一 | 一 紋附の縮緬(ちりめん)袷の羽織を一つ。 |
文政三年八月九日 | 1820年8月9日 お殿様の帰国の折に、川々が洪水になった折、格別な心配りをしたので拝領。(36才) |
一 同縮緬単御羽織 一 | 一 紋附の縮緬の単(ひとえ=和服のうち、裏地のないもの)の羽織を一つ。 |
一 同御帷子 一 | 一 紋附の帷子を一つ。 |
文政三年十二月廿八日 | 1820年12月28日 兼々仕事に精を出し、勤めたので内々より拝領。 |
一 二桐御紋附羽二重御袷 一 | 一 二桐御紋(調査中です。)付きの羽二重の袷を一つ。 |
文政四年十二月十一日 | 1821年12月11日 兼々仕事に励んだので、次の間にて拝領。(37才) |
一 葉桜御紋附羽二重御小袖 一 | 一 葉桜の紋(調査中です)付きの羽二重の小袖を一つ。 |
文政五年正月十一日 | 1822年1月11日 篤姫様の縁組のご用を勤めたので、お祝いとして拝領。(38才) |
一 御紋附御上下 一(具) | 一 紋付きの上下を一つ。 |
一 同御小袖 一(具) | 一 紋付きの小袖を一つ。 |
文政五年十二月廿八日 | 1822年12月28日 兼々出精に勤めたので拝領。 |
一 五三桐御紋附羽二重御小袖 一具 | 一 五三桐(ごさんのきり)の紋付き羽二重の小袖 一揃え。 |
文政六年三月廿一日 | 1823年3月21日 コウ(土の下句)姫様のお誕生のご用受入れを勤めたので拝領。(39才) |
一 御紋附羽二重御小袖 一 | 一 紋付きの羽二重の小袖を一つ。 |
同年十二月廿五日 | 1823年12月25日 兼々精を出し勤めたのと、秋以降篤姫様の体調がすぐれず、心配りをしたので拝領。 |
一 五三桐御紋附裏附継御上下 一具 | 一 五三桐の紋附で裏付きの継裃(つぎかみしも=下衣の袴が縞物で出来ている場合)一揃い。 |
文政七年七月 | 1824年7月 貞厳院様(八代細川斉茲公側室)のご逝去に伴う遺物(つかいもの=プレゼント)として。(40才) |
一 御紋附御羽二重御小袖 一 | 一 紋付き羽二重の小袖を一つ。 |
一 同 御袷 一 | 一 紋付きの袷を一つ。 |
同年九月 | 同じ年の9月 |
一 嶋(縞)縮緬 一反 | 一 縞縮緬(しまちりめん=縞糸に山繭糸を用いた縮緬) 一反。 |
同年十二月廿四日 | 同じ年の12月24日 兼々出精と、お庭・お宮の建方の心配りを行ったので拝領。 |
一 御紋附羽二重御小袖 一 | 一 紋付き羽二重の小袖を一つ。 |
同九年三月二日 | 1826年3月2日 2月12日に諦観院様が亡くなられ、形見分けとして戴いた。(42才) |
一 鈴(錫)御花生 一 | 一 錫製の花生けを一つ。 |
一 御提弁当箱 一 | 一 手さげの弁当箱を一つ。 |
一 御硯 一 | 一 硯(すずり)を一つ。 |
一 御紙入 一 | 一 紙入を一つ。 |
一口メモ
当家九代の武久は、諦観院様(熊本藩九代藩主の細川斉樹公)が30才で亡くなられ、形見分けを頂戴していますが、この二人の関係はつぎの通りです。
諦観院様は、15才で藩主になられましたが、その5年後の1815年の参勤交代の折に、武久が初めてお供をしました。当時、武久は31才で、諦観院様とは12才年上の関係にありますが、諦観院様がお亡くなりになるまで計3回(1815年、1818年、1823年)全ての参勤交代にお供をしています。また、その間1821年4月には江戸に出向き、用人すなわち、諦観院様の用向きを家中に伝え、庶務を司ることを主たる役目とする仕事を行うようになりました。
このように、武久は11年間諦観院様の御側に付いていたことになります。