江崎彦左衛門先祖 その10

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 3020

くずし字解読

御抱継之砌自願之処御相撲改野原新蔵を半之充(小坂半之充の)世襲が決まった折に、自ら願い出て、相撲出身の野原新蔵を半之充の
組ニ被召加段被仰渡候得共御断申上候ニ付二代彦左衛門組に加えられるよう命じられましたが、断られたために、二代の彦左衛門
儀先祖彦左衛門儀被召加候趣并阿部御つぶし之は、初代の彦左衛門が召し加えられたように、又、阿部兄弟誅伐の
節於彼場所心操之御奉公仕候段先祖頭高見時に、その場所でご奉公する心構えをしたことを、先祖彦左衛門の頭である高見
権右衛門ゟ跡役鎌源太夫小林半大夫へい才権右衛門より、後役の鎌源太夫、小林半大夫へ委細を
申継被置候趣半太夫方より被相違候處彦左衛門儀申し継がれた趣旨について、半太夫方から、間違っていると指摘され、彦左衛門は
御側足軽ニ被召加相勤申候已下写之お側の足軽に召し加えられ勤めました。以下これを写しました。
嘉永二年酉二月写之置候事嘉永二年酉(1848)2月これを写しました。

一口メモ

今回で、江崎彦左衛門先祖のシリーズを終了しますが、現代語訳については難解な部分があり、正しく訳されていない部分もありますので、是非皆様からご指摘いただくようお願い致します。

顧みますと、江崎彦左衛門が当家の御側足軽として召し加えられたのは、寛永14年(1637年)でしたが、その時当家二代は28才で、側者頭を務めていました。その6年後に阿部兄弟誅伐事件が起こり、江崎彦左衛門が大活躍をしました。本文書には江崎彦左衛門のニ代目までの記述がありますが、実際には当家十代の武棟の代まで、確実に譜代として世襲されてきているのが読み取れます。ここでは江崎九郎兵衛として紹介されていますが、この文書が書かれたのは1848年ですので、200年以上世襲されてきたことになります。先祖の江崎彦左衛門は、当家三代まで41年間も長きにわたりお勤めされました。

尚、この文書の解読に当たりましては、Facebookのグループ「古文書が読みたい!」のメンバーの皆様のご協力を戴きました。ここに改めて御礼を申し上げます。

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